1.あの日を胸に:豪雨災害から1年/2 防災力向上へ語り継ぐ /長野
,毎日新聞
RV=41.7 2007/07/20 13:04
キーワード:候補,土石流
「もうだめだ」。06年7月19日午前4時ごろ、岡谷市湊の土石流現場にいた花岡義樹さん(46)は、襲ってきた黒い巨大な塊を見て思った。義樹さんは山を駆け上がり、難を逃れたが、その土石流は父親の滋さん(当時75歳)や消防団員の小坂陽司さん(当時45歳)らをのみ込んでいった。
当時、地元消防団分団長を務めていた義樹さんは午前2時半ごろ、滋さんから「会社の裏の川があふれた」と連絡を受けた。上流にある経営する鋳造所に向かうと、川からあふれた水が鋳造所内に入っていた。同じペースで長時間降り続く雨。「嫌だな」と感じていた。
午前3時半ごろに発生した土石流では大きな被害はなかった。しかし、「必ずもう1度来る」という確信があった。「山に天然のダムができていたら降り続く雨で決壊する」。すると「来た」という叫び声が聞こえた。
「山が落ちてくるような」土石流が襲ってきた。土手や民家、中央道の高架と次々にぶつかりながら下る様子が見えた。グシャーというごう音が響いた。気が付くと小坂さんらの姿はなかった。「誰かいるか」など声をかけながら歩いたが返事はなかった。
義樹さんは18歳の時に消防団に入った。滋さんに「消防団の人が法被を持ってきたので、行ってこいと言われた」ときっかけを話す。滋さんの安否については「覚悟してくれ」と家族に話した。2回目の土石流が発生した時、滋さんは下流部へと歩いていたからだ。
7月下旬に滋さんの遺体の一部が見つかった。その時に葬式は行えたが「避難解除になるまでは現場を離れるわけにはいかない」と延ばした。分団長の仕事を優先した。
今年3月で2年間務めた分団長を辞めた。災害で義樹さんは「消防団は地域の語り部のような存在」であると感じた。「先輩から後輩へと経験が語り継がれる。この財産が地域の防災力を上げる」という。しかし今では団員の確保も難しい。
義樹さんは災害当時、逃げる瞬間まで隣にいた小坂さんのことを考えることがある。小坂さんは分団長候補だったほど消防団活動を愛し、経験も豊富だった。「ずっと一緒にやってきた陽司がなぜ……」と声を落とした。
「もう1年。あっという間だった」と振り返る。「砂防えん堤ができたら安心と思い始めるのが怖い」と話す。今は住民に災害の記憶が残る。「あと10年後ぐらいかな。記憶が風化し始めた時こそ、私が頑張って、この災害を伝えていきたい」と義樹さんは語った。【池乗有衣】=つづく
7月20日朝刊
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