2.明治の大洪水、すさまじさを後世に(和歌山)
,紀伊民報
RV=40.0 2007/07/20 09:54
キーワード:寺,寄贈,上富田
時間雨量169・7ミリを記録したという1889(明治22)年の大洪水のすさまじさを資料で後世に残そうと、上富田町岩田、測量設計会社社長の冨貴建男さん(64)が、古老の言い伝えなどを基に、富田川沿いの洪水の水位を5000分の1の地図に表した。上富田町など4カ所に寄贈した。冨貴さんは「啓発や防災に役立ててくれれば」と話している。
地図に示したのは、白浜町栄の富田川河口付近から上富田町下鮎川の加茂橋までの約14キロ。
昨年のはじめ、上富田町岩田、三宝寺の岩橋幸大住職から「明治の大洪水の水位を表す碑を建てたいので、水位の測定に協力してほしい」という依頼があった。同年6月下旬に碑が建立されたが、この時、町内に洪水の言い伝えが多く残っていることを知った。「これは後世に残さないといけない」と考え、富田川での浸水域を測量することにしたという。
昨夏、岩橋住職と町職員の案内で、洪水水位を柱に記した民家(岩田)や石垣のてっぺんまで水が来た春日神社(市ノ瀬)、犬走りまで水につかった民家(下鮎川)など9カ所を見て回り、その後測量した。このほか、どこまで水が来たかが分かっていた上富田町朝来の圓鏡寺や白浜町内ノ川の林翁寺などのデータも加えた。これら計14カ所の標高(水位)を基に、川の全長から割り出したこう配を使って地図上に示した。
当時の河床の標高が分からないため、水深は算出できないが、洪水の痕跡の標高は、下流域の林翁寺で14・6メートル、圓鏡寺19・13メートル、三宝寺24・1メートル、春日神社32・94メートル、最も上流の加茂橋付近で41・86メートルとなった。過去の言い伝えによると、市ノ瀬汗川の登尾付近で2丈8尺(水深約8・4メートル)に達したという。
資料を寄贈された上富田町の小出隆道町長は「大変貴重な資料。歴史を振り返って洪水の怖さを知ることは今後の参考になる。防災の計画や学習に役立てていきたい」と話している。資料は測量に協力してくれた白浜町と林翁寺、三宝寺にも寄贈した。
上富田町史によると、1889(明治22)年8月18、19日に台風によるとみられる集中豪雨があり、大水害となった。県内で1247人が死亡しており、うち富田川流域は565人と多く、家屋流失も749戸に及んだ。上富田町岩田の三宝寺17代住職の大信住職が残した「大洪水現況実記訓戒」には、堤防が崩壊して岡川と富田川の水が混ざり合い、山から山を堤防にして一つの大河になったとある。この時、数十軒の家とともに人も流されていたという。
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