3.藤田嗣治の墨画発見:来県時の足跡追う/下 /青森
,毎日新聞
RV=56.9 2007/10/17 12:01
キーワード:秋田,五所川原
◇宿泊は43年10月か−−回想文の「42年」、信ぴょう性低く
1943年11月に戦争画巡回展が青森市で開かれた際、藤田嗣治(つぐはる)が青森に来県し、巡回展の会場に顔を出したことは、会場で撮影された写真によって事実が裏付けられた。では、藤田は回想文に記した42年の来県は本当だったのだろうか。
回想文には「(42年の)札幌巡回展の帰りに津軽海峡で暴風雨に遭い、青森港に夜中に到着し、駅前の安宿(墨画を贈った青森市の旅館・西北館)に宿泊」と書かれている。この事実関係を、引き続き地元紙の当時の報道や記録などを基に探った。
■42年の動向
42年に北海道で行われた巡回展の実態を調べた。すると、藤田の「哈爾哈(はるは)河畔之戦闘」などが出品された「大東亜戦争聖戦美術傑作展覧会」が、5月26日から7月12日にかけて▽旭川▽札幌▽小樽▽函館――の道内4カ所を巡回したことがわかった。
だが、6月9〜17日に開かれた札幌展に藤田が来訪した事実は確認できなかった。さらに、藤田は42年4月上旬から南方戦線に従軍し、6月11日に帰国したとみられている。この2点を突き合わせると、42年に札幌に訪問した可能性は極めて低く、必然的に42年の藤田来県も、なかったものと思われる。
■新たな可能性
ただ、藤田の当時の足取りを調べていくうち、別の可能性が浮かび上がった。青森市で巡回展が開かれた直前の43年10月にも来県していた可能性だ。
43年9月29日、札幌市で行われたアッツ島戦没者の慰霊祭で藤田が講演していたことが判明した。この時は翌30日に小樽に行き、10月4日の午後6時すぎに秋田に到着、5日に秋田を出発していた。
ほかにも同年10月14〜21日に札幌三越で「決戦美術展」が開かれていたが、ここに藤田が訪れたとの記録はなかった。
当時の気象台の記録などによると、10月3日ごろの青森付近は台風27号に見舞われ、船が転覆するなどの被害が出ていた。この事実は藤田の「暴風雨に遭遇」の記述と一致する。また、今回墨画が発見された五所川原市の民家(西北館元経営者の家族宅)からは、藤田夫妻らの写真も一緒に見つかっていた。この写真に記された日付は「昭和18(1943)年10月4日」だった。
これらの点を総合すると、藤田一行は43年9月から10月にかけて北海道から秋田に移動する途中、台風に見舞われて青森市の西北館に急ぎ宿泊し、墨画を描いたと考えるのが自然だ。「10月4日」の日付がある写真については、西北館を出発する前に撮影したか、秋田に移動した後に撮影し、翌11月の再訪時に旅館に記念として贈ったと考えられる。
■「新たな視点」
県近代文学館の黒岩恭介館長(美学専攻)は「地方で戦争画展がどのように行われていたかは、いまだによくわかっていない。今回の調査で、青森をはじめ、地方都市を戦争画が頻繁に巡回していたことや、それにともなう藤田の具体的な足取りが明らかになった。戦争画を考えるにあたって、新たな視点を得たのではないか」と話している。【野宮珠里】
10月17日朝刊
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