Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

次の世代へのメッセージ
長沼 満

 その朝、私はゴミ出しの日なので1階のゴミ集積場に生ゴミを出しに行った。出し終わってエレベーターの方に行こうとして、エレベーターに10メートル位の所に来た時、あの大地震に襲われたのである。
 どっかーん、ずしーん、ばりーんの3つが一緒になったような巨大な音が突如として周囲に起った。私は倒れたように思うが、私自身は何か硬い壁が私の右半身を打ったように思った。床の亀裂、天井のコンクリート片の落下、朦々たる土埃、私は夢中で建物の下敷きになってはいけないと頭が閃いたので這いながら1階山側の広場に逃げた。次々に起る余震に此処も危ないと思って住宅を離れようとして裏側の道路に飛び出したのであるが、倒壊家屋がいっぱいあって遠くへは行けないようであった。
 人々は唯、狂ったように呼び合い、生き埋めになった人々を探し求めて「早う助けてくれ。もう死んで仕舞う。」と叫んでいる人は、女の人か老人であった。しかしどうにもならんのは仕方がなかった。日本家屋は軒並倒壊して居たがどういうことか1階がぺっしゃんこになり、2階がその上にちょこんと乗っているようなのが目立って居た。1階で悲惨な死を遂げた人が多いのは後日聞いた。
 私の住宅の周囲は、灘の高級住宅地で地震前は立派な家屋が目白押しであったがその殆どが倒壊した。神戸には大きな地震はないなどの巷の言い伝えなどを盲信して地震対策を怠ったのではないだろうか。
 余震も少しおさまったように思った。私は住宅8階の妻を急に思い出した。住宅(10階建)も立っていてすぐ倒れそうもないので、急ぎ非常階段を避難して降りてくる人と反対に昇って行った。
 部屋は、家具が山のようになって倒れて、妻の寝ている部屋には行けない。妻の名を呼びながら、私は家具の山を乗り越えようとした。しかし中々進まれない。妻はもう死んだのかと思って、一段声を大きくして呼んだら、微かに返事があった。あっ、生きてると老の力を振り絞って前に横たわっている本箱をずらして、声の方に踏込んだ。妻は、下半身を箪笥に挟まれて身動き出来なかったが、私の声を聞き、渾身の力で身を抜くことが出来たのである。私は足に怪我をし、妻は箪笥に挟まれた膝に内出血をして居たが、とに角命拾いをしたのを二人で喜んだのであった。
 地震当初の揺れは、先ず東北の方に動いたと私は思っている。そして揺り返しは反対方向、西南の方に揺り戻したようだ。家屋などは、この揺り返しで倒れたようである。私の見た限りでは、西南の方に家は皆倒れて居た。
 次の世代へのメッセージなど、烏滸がましいことはとても出来ないが、私の体験の一端を書いた次第である。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター