Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

あなたの体験
岩崎 昭治

 此の表題に果してあっているかどうか震災からの5年の年月いままでに被災者の皆さん方からの体験は出尽くしているのでは有りませんか.被災のケースも人それぞれと存じ上げます.ですから私の書くことがすでに報告なされている折はおゆるし下さい.わが神戸の町も復興成ったようには見られますが、どうしてまだまだ心の奥の傷口は消えて居りません。一朝一夕にあの悪夢は忘れられるものではございません。私のような素人が常々思いますのに何もかもが進んでいる中で地震だけは起きましたという報告のみ。どうして地震の予知が出来ないものなのかなと腑に落ちないのですが、よく耳にする巷の庶民や動物が感覚で地震の前兆らしい出来事なんですが専門家の方々はどう受け止められて居るのでしょうか。愚問でおそれ入ります。
 私の体験ですが、
一. 避難所(学校)では安易に考えて休む場所がなくてトイレの入口に毛布一枚で夜を明かしました。場所が場所だけにねむれるわけがありません。それと教室と廊下の床板の冷えが忘れられませんです。
一. 殺人的な交通事情の体験も身がしまります。四輪では動けないため単車でひとりしか運べず、車の洪水の流れをぬって電車の動く所まで(阪神甲子園口駅)までを飛ばしました。出来るだけ軽くというので体ひとつで乗りました。
一. 次女の家に2ヵ月世話になりました。
この気を使う点は私だけでなく他の皆さんからもよく聞かされました事で時代の流れでしょうか。昔の修身で育った頭には理解に苦しみました。実の子供に気を使うなんて。子供にも家庭が有り第一優先は当然ですが、何事によらず自分達本位、親は口では優しく言ってくれても二の次またその次になる。亡妻が想い出されました。自分の都合のよい考え方教育の恐さを痛感させられました。
一. 仮設での暮らし
神戸の仮設より大阪が先に当って(淀川区)に被災してはじめて仮設という住いを知りそこで三年半生活しました。四百棟からの仮設でしたがお互い被災者同士なのでトラブルもなく過ごせました。自治会長その他の好意は忘れられません。又助け合わないと仮設では暮らしていけませんから、何せ出るのは年寄りはいやがるもので親切も仇になりがちでした。ペットに関する小さなトラブルは絶えませんでして淋しい気持ちはわかるのですが、それぞれはそれなりの飼うマナーが欲しかったです。誰もスコップ、ナイロン袋と格好はよいのですが後処理をしてくれないのは困りものでした。
一. 復興住宅への移行
県外に住む者は不利でした。行政にしても実情をつかむのが大変だったのでしょう。すべてペーパー処理は一寸という気がします。神戸の様子がわからないため不満がつのりました。年寄り優先というのに父娘の娘が若いと落とされ、手紙も出したのですがいつも没。それにくじ運も悪いのでしょう。5回ともだめで最後は仕方なく斡旋で今の所に。今でも紙面で仮設での仲良し組が集まって旧交を温めているのを見ますが、この有様が今一番の関心事ではないでしょうか。いろんな設備もととのった復興住宅のどこが不満なのか。建物かな。箱を積み重ねたような家、ドアをしめると孤立した箱。避難所とつき合いもない。心が淋しい被災者これではないでしょうか。私が一年余りはじめての団地暮らしで感じたので言ったまでですが、年金生活者が住む所ではないみたいですが仕様有りません。皆さん自分だけの生活に毎日を生きていられるのでしょうが、もっと温もりのある所であればなと思うのですが、流行におくれてはという若者のファッション、女学生の男子顔負けの言葉、年寄りの心は凍ります。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター