Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

阪神・淡路大震災体験記
関 朝宗

 平成7年1月17日午前5時17分の大震災は私にとっては忘れられない出来事である。まだ覚めやらぬ夜明け突然大きな轟音と共に布団ごと上空にはね上げられ落下と同時に物凄い地響がした瞬間、体が埋まり自由がきかなくなった。それは一瞬の事で初めて地震だと分り急に恐ろしくなった。私は暗の中で必死に「助けてくれ」と叫び続けたが、外はパニック状態だったのか雑音に消され、ただ次々に揺れる余震にあせりを感じ、ああ私の人生はこれで終わりかと瓦礫の中で、いろいろと過去の事が走馬燈の様に浮かび悲しかった。それから4時間位して救出されたが連れ出された時振り返ると跡影もない無惨な瓦礫の凄惨さに身震いを感じ初めて助かったのだなぁと実感が沸いた。道路の向い側一画はバチバチ音をたて放水もなく燃え放題だった。道路は所々倒壊家屋で遮断され人々は只右往左往し、その中で救出する人達が懸命な救助活動を続けているのが目立った。私は夢遊病者の様にあてどもなく取りあえず日頃利用している老人憩の家へ行ったが、どんどん運び込まれる遺体で居場所もなくなり外に出てフラフラと近くの公園に行った。そこには沢山の人が、たむろし避難していた。これは震災当日の一コマだが、その後一ヶ月ばかり入院し子供の家や施設を転々とし仮設住宅での淋しく苦しい生活もしたが、今ようやく5年を迎え心身も落着きを取り戻し人並の生活が出来る様になった。今回の震災を体験し教訓を得た事は神戸は地震も少なく安全な街と云う神話は、くずれ災害は何時来るか分らないと云う事で備えあるものは憂いなしの諺どおり、平素から非常用の保存食料、貴重品、その他取りあえず困らない程度の必需品を準備したり、避難場所の確認をしておく事、又自分達の街は自分達で守る防災意識の向上の為、地域に於ける防災組織の訓練に参加して、いざと云う時に慌てずに行動出来る心構えが大切だと痛感した。又想像を超える災害が発生した時、ライフライン「水道・ガス」など全てとまり、公共は麻痺し、消防署などの行政に依存する事はまず不可能だと思う。そう云う状態の中で自分達の街を守る活動をするのは地域の住民である。今回の地震で日頃言葉さえ交わさない人達が自分の身をかえりみず、瓦礫の中の人々を必死になって救助活動したあの光景は未だ脳裏に残る。人と人とのふれあい、助けあい、人に対する思いやり、この様な人間関係のぬくもりのある社会にしたい。災害時だけでなく地域の中に根ざす美しい人間関係の街になる様あの震災の時のみんなが持った心を風化させてはならないと思う。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター