Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

阪神・淡路大震災
川市 喜美子

 あの大震災から間も無く5年が来ます。
 今でも「ドン。」という音がすると、又かと思います。
 あの朝、私達が住んでいる4Fのマンションの下が、「ゴーッ。」と言う音がしたら上下左右の大揺れ、電気は消え部屋の物はメチャクチャで、暗い中でじいさんが入口のドアを開けて「早くばあさん出ろ。」の声に70才の私には出るのがやっとでした。孫が心配でした。
 孫の小学2年の女の子の名を呼び「ばあちゃん生きてるよ。」の声でほっとした所に、2F、1Fの階段は崩れて降りるのが怖くて涙は出るし、足は震えてマンションの人達にお世話になりながらやっと降りてみんなと公園に避難し、水も無く食べ物も無く昼過ぎから車で加古川の長女の家に行き十日ほどおいてもらい、長女が川崎重工で働いているので、東加古川の川重社宅に三ヶ月間住まわせてもらい、みんなで嬉し涙が出ました。
 川重さんありがとう御座いました。五月の中頃に東加古川の仮設にはいれた時はどんなに嬉しかったか。今思っても、ありがたい事です。仮設の人は親切で又ボランティアの方が暑い日も寒い日も毎日お世話をして下さった事ありがたかったです。ありがとうネ。
 仮設で亡くなった方は、金が無いため病院にも行けず、病死や孤独死が出たのは、国から少しでもよいから早く金を貰っていたら、少しでも死ぬ人が少しだったと思います。
 私も病気の一人なので考えさせられました。
 金の無い事、家の無い事はどんなに辛いか、分ってもらいたいです。
 それなのに私の後で女子中学生三人が学校の帰り道に話している一言に「私らはあんな家には住みたくないなぁ。」と平気でしゃべる子。どんな心をしているのか考えさせられました。
 たしかに加古川の方には多い仮設が目障りだったと思います。
 又、迷惑だったと思います。
 せめてテントよりはましだよなぁ、子供達がいるものなぁと言ってほしかった。
 今の学生には心の優しさが無いように思われます。人の辛さのわかる人間になってもらいたいです。親も家の無い人の辛さをわかってもらいたいです。
 川重さんありがとう御座いました。
 ボランティアの皆さんありがとう御座いました。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター