Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

一月十七日の私
幾島 浩恵

 神戸市東灘区、財団法人甲南病院にて。午前1時過ぎ、準夜勤が終わり、看護婦寮に戻った。やっと眠りについたのは明け方5時。ごく普通の一日が終わった。
 突然の激しい揺れ、部屋から這いずり出て寝巻のままで自分の勤務先、五階内科病棟に向かう。詰所はメチャクチャ。でも、重傷者がいなかったこともあり、皆大きなケガもなく無事という。
 外来から手伝いを求められる。一階はいつの間に集まったのか、人、人、人。とにかく動くしかなかった。清潔な器具はすぐになくなった。消毒液に浸して続行。手袋、ガーゼ、糸、麻酔も少なくなる。
 ドアの上に乗せて運ばれた人。でももう息はなかった。床に寝かされた人に2人がかりで心臓マッサージ、人工呼吸をしている。戻るのか...戻ったところで治療が出来るのか。
 あちこちで叫び声が聞こえる。子供の名か家族、友人の名か。返事は返ってこない。
 小さな白い包みを胸に抱いて、女性が天井を見つめていた。表情はなかった。頭まで白いシーツで覆われたものは、遺体を意味する。それは本当に小さかった。
 大きな白い包みは無数にあった。寄り添う子供も石のように動かない。
 日が上がると同時に、自家発電の燃料が切れた。真っ暗な中央階段を懐中電灯で照らしながら患者さんを抱えて五階まで何往復も走った。
 モニターは絶えず動いていた。生死を見極めるためだけに、それは使われていた。弱々しい鼓動。この人は亡くなろうとしているのに何も出来ない。原因さえ知る術がない。呼吸が止まり、アラームが鳴った。誰かが駆け付けて来るのなら、それまで蘇生を続けよう。でも、どこの誰かも分からない。見守る家族もない。モニターが静かに直線になった後、シーツに包んで一階まで運んだ。頭部を支えた手が血に染まっていたが、洗う水もない。
 五階の一室に、2人の女性の遺体が運ばれてきた。彼女らは、看護学生だった。空を掴むような硬直が、いかに苦しかったかを語っているように見えた。もう何年かすれば、仲間になっていたのに。
 あれから五年、生きていた私は結婚し、子を産み、母となった。幸福になった今も、あの時の、嘆き悲しむ人々の姿が自分と重なる。自然災害だから仕方ないとは思えない。万が一の時、大切な人と自分自身を守れるように強く、そして毎日を悔いのないように生きていきたい。
 五度目の黙祷を心から捧げます。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター