Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

私の証言
卜部 晋誠

 その日その時ズボンを履きおえて床の間のメガネをとる瞬間、ガタガタと下から突き上げられ横に走ったかと思うとグラグラと揺れた。無意識に今起きた布団の中に潜り込み、ただなんやなんやこれと声をうわずらせていた記憶が思い出されます。ゴルフへ行くべく早起きしていたので鮮明に覚えていたのが向いの風景だった。西から東へもの凄い倒れ方で壁臭い空気がよどみ暫くしてガスのにおいで慌てて二階の窓からカーテンを結んで外に下りた。幸いにも二人の子どもと家内は無事だったが我が家の一戸建店舗付持家約一二○平米は全壊した。八m道路の向いには義父が一人五時間後に友人の協力を得て助け出しました。義母は丁度入院中だったので難をのがれたが、その間も余震が続いての中、助け出された近所の人の足が立たずとりあえず畳を担架のかわりにし近くの小学校へ共に避難した。約五ヶ月教室に世話になっていた時、地下鉄サリン事件が報道される。これまでの大変さが色あせてしまい世間の関心がスローダウンしてしまった。それ以後は阪神淡路大震災が過去の出来事で日本列島のごく一部分のみの写真かの様になり他府県からは震災ルックが何か異様に写っていたのではないだろうか。それでも自衛隊の風呂が作られた時は地獄で仏でした。「もみじ湯」今も忘れはしない。生きていて良かったという実感が極楽々とつい口についてしまうのは誰しもだと思います。その内第三次募集で仮設住宅へ移った時も又幸せを感じこれぞ超極楽と思ったもんです。今思えばなつかしく楽しくはないにしても人々と助け合ってかつてない人と人とのふれあいに接し、レベルが共有している者だけがいだく人特別な勘定のかたまりなのです。今も隣に住んでいた人が近所にこられ良きお付き合いをさせてもらっています。入居後すぐ自宅の再建にとりかかったが、完成まで十一ヶ月を要し今思えば気持が前向きでもの作りの楽しみでもあった。現在おちついてしまうと気がぬけてしまった古い家が新しくなり小さくにもなり気がつけば三十年のローンが四年過ぎて九月からいよいよ始まりました。そのおかげで一段と健康に気を付ける様になりました。払い終えると86才になります。今住宅には何の不安もありませんが精一杯の思いと共に過去を振り返らず体験を教訓として今後に生かしたく思っています。我が家の近所もおおむね復興したが以前とは様子ばかりではなく人との交流も以前ほどではない様に思います。なぜならば人それぞれの新たな事情が生じたからであり当然だと思う。今行政に望むとすれば被災者に無利子で住宅建設資金を貸して戴だけたらと−どこかの銀行ではありませんが少し虫が良すぎるでしょうか。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター