Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

あれから5年です。
南 マリコ

  平成7年1月17日午前5時47分、なんの前ぶれもなく、私共阪神地域の大地が忽然と唸りをたてて揺れ動きました。
 私共の地域築地は江戸中期、尼崎城の天守閣を中心に濠を隔てて埋め立てられた所です。今あるポートアイランドと類似しています。お殿様はこよなく築地を愛され、町も繁栄し庶民の情緒溢れる町として現在に到っていたのです。
 その築地が大液状化現象を起こし、アスファルト道路は柘榴のように裂け、土砂が噴出しました。そのためガス管、水道管は破裂し、ガス、水道が吹き出していました。
 「火を点けたらあかんよ。」「タバコ吸わんといて。」我々は必死になって叫びました。電柱は安定を失い道路に覆い被さっていました。
 古井戸からも容赦なく噴水のように山砂が吹き出して、露地を、出入口を塞ぎました。家の座敷でも畳が押し上げられ噴き出した砂が山をなしていました。不幸中の幸いといえば、火災と死傷者がなかったことでした。若い夫婦が骨身惜しまず働いて、年の暮れに建てた家が地面の中にのめり込み、どっかりと仁王立ちしていたビルが45度傾きました。我が家も基礎に重点をおいた建て方でしたが、50cm陥没し裏にあった井戸から基礎部分の土砂が噴き出し後ろに深く傾いています。
 震動が収まると息子が大声で「お母さん!生きてるか」声をかけてきた。「生きてるで。」被っていた布団から顔を出すとタンス、本棚、洋服ダンスがピラミッドのようになっていた。その透き間に私の体がありました。夜はなかなか明けません。ガス、水道、電気は止まりました。辺りからただならぬ気配を感じました。後から神戸の惨状を知り愕然としました。
 あれから5年。震災復興指定地域に認定され、いちからの町づくりが進んでいます。
 現在のままでは、再び地震があれば町ごと沈没するという学術的な立場から土砂の1mの嵩あげ、全地域立ち退きと決定し、少しずつ復興は進行しています。公園に事業用仮設が設けられ、住民は新しい町を夢見ながら息をころして工事の進行を見守っています。
 阪神工業地帯の労働力を賄う借家人の多い地域ですので、庶民性ある長屋風の町なみは姿を消し、高層住宅が6棟建てられる予定です。道幅も消防車が入れるよう拡張されます。21世紀には、新しい姿で勇躍お目見え致します。
 話はかわりますが、この度のような自然災害の前にあっては、人間は全くの無力だということです。地位、名誉、財産は何の助けにもなりません。唯、言えることは人の痛みのわかる人間でありたいと言うことです。ひとつしかないものをふたつにわる。助け合いの心だと思います。その心が大きく人間に立ち上がる勇気を与えてくれるのです。
 最後に震災で犠牲になられた6000有余人の犠牲者に対して心からご冥福をお祈り致します。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター