Memorial ConferenceVあなたの体験 DRS
Memorial Conference in Kobe V 〜 あなたの体験

証言
卜部 道子

 あれから5年の月日が流れる。被災した私は今でも、あの時の光景が鮮明に焼きついています。思いだしたくない、でも忘れてはいけない出来事だった。小学校の教室で畳2枚位の所で4人で過ごし沢山の人のお世話になりました。本当にありがたかったです。運動場に並んでお鍋を持ったり、発泡スチロールの器を持って並んだ事は私にとって生まれて初めての経験でした。プライバシーのない中、夜がぜんぜん眠れず疲労が限界になり、私は4月に肺炎になり入院し、精神的にもおかしくなり、家族に心配をかけました。私達は5ヶ月避難所生活をし、やっとの思いで西神の仮設に入居しました。1棟10世帯が16棟の仮設住宅、私は足がのばせて家族の生活が出来る事にありがたく感謝をしました。次々といろんな区の人が入居して来て1人暮らしの人が沢山いました。8月頃にはふれあいセンターが出来、自治会が発足し私は役員として少しでも体を動かし、お手伝いをする事に心がけて自分自身が早く元気な体になりたくっていたところが今、夜はきついめまいにおそわれ又、精神的にも肉体的にもダメになり死を考えた事もありました。私は1年間の仮設生活の中、固く扉を閉めて心を開かない人、同じ立場の人ばかりなので団結し協力する人、酒におぼれる人、そんな中、私は自分の為にも何かがしたくって、仮設の人達のみ最小限の道具でカットをしたりして喜んでもらった様に思う。足の悪い人もいた。1人暮しの人で朝から酒を飲み、はたから見ると陽気に見えたが結果は3人程、体を悪くして亡くなりました。ブリキの板一枚の壁で音には気をつかった。
 私達は目標があった為、頑張る事が出来、自宅、店舗も建ぺい率60%に減らされ思う様には再建出来なかったけど、おかげで建てられた店の内装はすべて長男が作ってくれて鏡二面の小さな店ですが今では地震前の半分位の人になり、ボツボツだが営業し、仮設で一緒だった人もたずねてくれて、うれしく、にぎやかに日々が送れる様になりました。ほとんどの仮設が無くなり復興住宅に入所した人達の話を聞くとさびしくつらく仮設生活の時が良かったと言う声をよく耳にします。この震災で人の心、気持ちがイヤと言う程感じられました。昔の人が言ったことに「遠くの親戚よりも近くの他人」と本当にそうだと思う。私は沢山の知人がおり、本当に良くしてもらいました。仕事をしていて良かった。これからも頑張って体の続く限り、美容の業をして行こうと思う。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター