Memorial ConferenceVIわたしの「災害ボランティア」体験 DRS
Memorial Conference in Kobe VI 〜 わたしの「災害ボランティア」体験

震災医療に参加して (当時の手記からの抜粋)
広島県広島市 竹岡 秀生

 我々は、神戸・淡路大震災の医療ボランティアとして神戸市須磨区保健所管内の避難所の巡回診療を行うことになった。私は、この医療ボランティアの一員として参加した。
 神戸市に入ったのは2月12日、須磨区保健所のあるJR鷹取駅周辺は、南側、北側が長田区で北側、西側が須磨区というように両区の境界にあたる。
 特に長田区は、区全体が焼けただれ、鷹取商店街は焼け落ちて地獄のようで、隣接する須磨区でも、多くの建物・高架橋が倒壊あるいは損壊していた。12日から毎朝、拠点である須磨区保健所でミーティング。
 巡回診療班スタッフは、私を含め広島チーム(梶川病院)と神戸西市民病院チーム(病院が倒壊し保健所に配属)の混成で編成。
 2月13日、マイクロバス(緊急車輌)を使用、保健所を出発した。マイクロバスは全半壊した家やビル、瓦礫の中を縫うように、コスモス、松風南地区福祉センター、環境局事業所、天理教、旧須磨署跡、うず潮、JR鷹取工場、朝鮮総連、須磨水族館、高倉中学体育館、外浜老人ホームなどス幕に散在する震災避難所を巡回した。各避難所の避難者数は概ね50〜100名であった。
 私が滞在した期間に診療した患者数は一日平均30名で、風邪、気管支炎、高血圧、便秘、腰痛、胃炎など内科疾患が多かったが、幼小児では臍周囲炎が2名いた。多くの患者が高齢者であり、中には105歳の女性がいた。ある女性患者は泣きながら目の前で親族を失った悲しみを話してくれた。
 特筆すべきは西市民病院の看護スタッフ達の懸命な活躍で、彼女たちは勤務していた病院が倒壊し、各保健所に巡回診療スタッフとして配属されていたが、彼女たちは的確に避難所と患者を把握しており、診療は順調であった。
 一般診療やメンタルケアーも確かに重要であるが、災害時の「巡回診療」では、さらに重要な役割があった。それは各避難所の衛生情報の収集、避難者への指導という役割である。避難所では衛生環境の低下、トイレ、換気、暖房、ペットの扱い、敷いたままで干されない布団、避難者のプライバシーなどが大きな問題で、「医療の基本とは何か?」を見せつけられた思いであった。
 しかし、一方で医療ボランティアにとって、避難所でのこれらの問題に関しては、なかなか手を出しにくい領域であったようである。
 巡回診療班は避難者への衛生指導も行ったが、保健所との連携があり、収集した情報が活かされ、対応も早く、私の短い滞在期間中にも避難所内での問題もかなり改善してきたように思われた。住宅の確保は医療の面からみても、早急に解決すべき問題と考えられた。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター