Memorial Conference/VI/わたしの「災害ボランティア」体験 | ![]() |
神戸市須磨区 中嶋 栄子 私が「胎児おうえんボランティア基金(現在、円ブリオ基金と改名)」と出会ったのは、避難所に生活し10日ほどたった頃でした。 子供二人のことはもちろん、当時妊娠5ヶ月だったので身体のこと、栄養のこと等とても心配でした。それに地元出身なので両親や妹・弟家族死ぬのなら皆一緒だなと、余震が続くたびそう思っていました。そんな中、避難所にいる妊婦さんを捜して、東京から、明石から来てくれました。私の不安な気持ち、子供たちのこと、家のこと、そして何より赤ちゃんのことを話しました。栄養はもちろん、風邪が流行っている中、無事生まれるのだろうかと不安の材料は山ほどありました。その話をじっと聞いて励ましてくれました。そしてすぐに必要な物をそろえてくれました。 その中に“お母さんガンバレ、赤ちゃんガンバレ”と書かれた基金と「生命尊重ニュース」とがありました。 話をしたことで、私や家族だけでなく、赤ちゃんを応援してくれる人がいることで、大変勇気づけられました。そして自分たちの置かれている状況を再確認することで少しずつ心を落ち着けることができました。話をすることで心の重荷が少し取り除けたのだと思います。 その後“お母さんガンバレ、赤ちゃんガンバレ”という文字を見て頑張れたと思います。 そして5月23日、無事長女が誕生しました。今5歳で元気に走りまわる娘を見て、本当にたくさんの方たちの愛で育っているのだなと思います。 この誕生の知らせをしたのを機に今現在私もこの円ブリオ基金のメンバーの一人として幸せな赤ちゃんが生まれてくるよう、またいのちの大切さをたくさんの方に知ってもらえるよう活動をしています。 |