Memorial ConferenceVIわたしの「災害ボランティア」体験 DRS
Memorial Conference in Kobe VI 〜 わたしの「災害ボランティア」体験

わたしの災害ボランティア体験
神戸市須磨区 東田 せつ子

 私は震災の年、8月から病院ボランティアをしております。きっかけは、平成元年に大腸ガンとなり、今12年目の命のボーナスを頂いた事、又、全壊した二階建の下敷になった長男。一度はあきらめかけた息子を通りがかりの男性2人と夫が必死になって助け出してくれた。この尊い命に対して、当時のさまざまなありがとうのお返しを少しでも出来れば...との気持ちからです。
 1995年8月兵庫区にある鐘紡記念病院で8名のメンバーからスタートしました。
 多くの患者さんの中に震災による心のケアが必要な方や、色々な病気の人が来院されました。
 私たちはロビーでその方々とお話をし、聞き手にまわって共に涙を流し、手を握り合いました。当時、「頑張って下さいね」という言葉はあまり意味がなかったように思います。私も息子の件は胸の奥に秘め、親身になって相手の話を聞くことが出来ました。診療が終わり、帰って行かれる後姿の足取りが少しは軽そうに見えたのは私の気のせいでしょうか。
 あれから6年、月日が患者さんの心をいやしてくれたと思っています。現在は、ロビーでのお年寄りのお話相手、院内の案内、目、身体の不自由な方の代筆、赤ちゃんの子守り、それにお茶の用意等、土・日以外でもメンバーが36名に増え、毎日交代で頑張っています。
 私達、病院ボランティアの役割は、来院される沈みがちな患者さんに対して人間らしく生きるための心配りと病院の雰囲気を出来るだけ明るくさわやかに、との気持ちから地域と病院との橋渡し役として、ずっと続けていきたいと思っております。
 余談ですが、震災から2年目の2月1日、私の夫が大工仕事中に2階の屋根から転落し、脳挫傷、左上半身多発骨折になり、三次救急へ。昼は大工仕事、夜は実兄の家の修理と疲れがあったのだと思います。幸い一命は取り留めました。この幸運に感謝して、微力ながらもっともっと困っている方々の力になりたいと思っています。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター