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Memorial Conference in Kobe VI 〜 わたしの「災害ボランティア」体験

わたしの「災害ボランティア」体験
京都市 高室 悟子

 阪神・淡路大震災が起こった時、「被災地のために何かしたい!」と思った私の頭をよぎったのは、「生協」の二文字でした。
 「そうだ、生協でなら、何かできるかもしれない。」
 そんな私の思いにまるで呼応するかのように、生協のチラシと一緒に届けられたのは、「がんばれこうべ!カード」と名付けられたボランティア募集の紙でした。
 それから、6年。今も生協の仲間との震災支援の活動は、続いています。
 一番最初は、障害者の安否確認。避難所での炊き出しや物資配布などを経て、やがて仮設住宅ができると、私たちは仮設住宅で「バザー」と呼ばれた活動を始めました。
 この「バザー」は、一般に行われる不要品の販売ではありません。生協の組合員から募金を集め、その募金で食料品や日用雑貨を買い込みます。そして、それらを仮設住宅に持って行き、定価の半額以下で売るというものでした。
 仮設住宅がおおむね町外れや山の上など、買い物に不便な場所にあることから思いついた「生活者の発想」から始まった活動でしたが、仮設住宅のみなさんには大変、人気でした。
 そのうち、焼きそばやカレーの屋台を始めたり、「文化的な催しも」と抹茶席やちぎり絵教室、年末は賑やかなことをと、福引大会など、月に一回の訪問ごとに知恵を絞り、工夫を凝らしたものです。
 この「バザー」は、仮設住宅の最終期限となった1999年6月まで続きました。
 しかし、そこで私たちの活動が終わったわけではありません。
 京都に避難されてきた被災者のみなさんの会「県外避難者京都の集い」と、私たち京都生協ボランティアが出会いました。
 故郷を離れて暮らすみなさんの心の傷は深く、私たちにできることと言えば、お食事会にご招待したり、お花見や散策のお供をすることぐらいです。それでも、何かしら役に立っているのでしょうか。私たちに会うことを楽しみにしていただいています。
 「震災ボランティア」と言うと、直後の救援活動や炊き出し、物資配布などを誰でも思い浮かべるのではないでしょうか。もちろん、それはそれでとても大切なことです。
 けれども、災害から歳月が経てば経つほど、必要とされるボランティアもあるのだということを私は知っています。
 ただ、寄り添っていること。
 華やかな活動でも、目に見える支援でもありません。それで被災者の心が救われるわけではありません。
 けれども、「私たちはこの人たちと一緒にいたい」という気持ちを大切に、これからも県外避難者のみなさんとの交流を続けていきたいと思います。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター