Memorial Conference/VI/わたしの「災害ボランティア」体験 | ![]() |
広島RB赤十字奉仕団 朝野 千明 降りしきる雨の中、愛知広域ボランティアセンター(ボラセン)から情報収集に西枇杷島町ボラセンへバイクを走らせた。水に浸かった畳や家具が山のように積まれた道は大渋滞だ。雨はどんどん強くなり作業に出掛ける前のボランティアの人達は既にびしょ濡れだ。寒さに震えながらボラセンが配るカッパを着る女の子を見たときは、たまらなく切ない思いに襲われた。 強くなる雨に道路が浸水を始めた旨広域本部に連絡すると間もなくボランティア活動の中止が決まった。まだ昼前でニーズも未消化だが安全には換えられない。勇気有る素早い判断にボラセンスタッフへの信頼を強めた。 私も現地バイク隊とともにハンドマイクを持って町内を回る。バイクで走っては黄色のガムテープに名前を書いて貼っているボランティアに活動中止を伝える。 「こちらは西枇杷島町ボランティアセンターです。活動、お疲れさまです。・・」ちょっと残念そうだが、“中止、了解”の返事を伝えてくれる。初対面だが不思議な連帯感だ。 災害救援ボランティア・広島レスキューサポートバイク赤十字奉仕団は今年2月に設立し、東海豪雨災害が初出動だ。バイクがどれだけ役に立つか不安もあったが、大渋滞の中消毒液や医師・看護婦の搬送、情報収集、物資の急送と役立った。現地では、警察、県庁日赤愛知県支部などを始め、ボラセンのスタッフが我々を信頼し、支援してくれたことを大変感謝している。更に嬉しかったのは被災地の人たちの励ましの言葉だ。道を尋ねに入ったバイク屋のご主人は、 「壊れたらいつでも持ってこい。ただで直してやるから。」と声をかけてくれた。 バイクに乗って行かなくても広島ナンバーの車で給油に行くとガソリンスタンドの人が「広島のボランティアの人たちですね。有り難うございます。」と、言ってくれる。こんな経験は初めてだ。 出動前、一部に名古屋は水も引いて、大きな被害は出ていない。という情報があった。しかし、役場も浸かり、車も家も全てが水に浸かった町の様子を本当に見たのだろうか。ボランティアが片づけを手伝った家であっても、畳を捨て、床板を壊して床下のヘドロを掻き出しただけで、一階部分は人がいられる状態ではない。避難所の壁1.5mの高さに水平線が入っているのを見たときには、情報伝達の大切さと難しさを痛感した。 広島のメンバーが撤退する日、ボラセンのスタッフが立ち上がり拍手で送ってくれた。ものすごく感激した。我々にチャンスを与えてくれ、支えてくれた人たちみんなに感謝しています。 被災者の皆さんが日常生活を取り戻すのには長い月日がかかると思いますが、その日は一歩ずつ近づいています。 |