Memorial Conference/VI/わたしの「災害ボランティア」体験 | ![]() |
西宮市 岩瀬 利治 昭和二十二年四月 私は長野県飯田市で街の大半を全焼する大火で実家の料理屋を失いました。戦後大へんの時両親とともに苦労して街の復興に当時バラック建のレコード店より流れる曲「リンゴの唄」でした。 リンゴに力づけられ頑張復興のイメージに街の防火道路に中学生とともに「リンゴ並木」を造成しました。 今回は阪神淡路大震災に西宮市で再度の被害に人生には苦難がつきものと仮設建物を元気を出してと紙芝居を各所で花咲じいさんを桜の花をガレキに咲かせますとさけびました。 桜の花がいつやらリンゴの花に変えまして市民運動で西宮リンゴ並木後援会をそして追悼の数一一四六本とし各所にリンゴの苗木を植樹しました。 関西にリンゴの木と当初は心配でありましたがリンゴの生産地で研究をして頂き各所より苗木のご支援がありました。 復興のシンボルとして各学校に犠牲者の数の追悼リンゴの木とし生徒さんで植樹し今五年の年月に大きく成長し今年はリンゴの実が各所で出来ました。 リンゴ当番迄出来夏のクラブ活動の前に水をかける姿が見られました。 小公園にもリンゴの木を植樹し各所でご老人さん達がリンゴの木の入手と今年はリンゴの収穫に震災の教訓を将来に継承と復興のシンボルとして各所にリンゴの木成長しています。 ボランティアとして会員も3人参加していただいて目標に進んでいます。 現在八〇三本迄完了しました。 |