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Memorial Conference in Kobe VI 〜 わたしの「災害ボランティア」体験

わたしの「災害ボランティア」体験
滋賀県大津市 辻 隆

 わたしがあの地震を体験したのは、職場にいる時でした。京都では震度5、消防署の仮眠室のベッドで今までに体験したことのない縦揺れと、横揺れに飛び起き、自分の身を守ると共にテレビのニュースを見ると、近畿地方でかなり強い地震があったことが各地のニュースでわかったが、まさか阪神地域に被害が起きているとは想像もせず、8時30分に交代しました。
 その後、被害の状況は甚大であることがテレビのニュースで判りました。仕事で現地にいけないのでボランティアで行こうと、以前から赤十字のボランティアとして登録していたので17日から1週間後に日赤の車に乗って三宮に入る。車の渋滞の中、高速道路は茨木まで、近畿自動車道で松原まで南下して三宮に入った。私の仕事は日赤に集まった物資を各避難所に輸送する役目でした。
 その際、車は滋賀県から持ってきました。地理に不安がありましたが、地元の学生ボランティアが乗り、スムーズに輸送出来たことがあげられます。
 また、避難所で物資に並ぶ長い列にどの顔も不安と疲れがありました。ボランティアの人達はその中で懸命にやさしい声を掛け合い励ましておられたのが印象的でした。
 長田区、新神戸駅、須磨区と車の渋滞の中、物資を配り終えた時は夜の8時になっていました。
 もっとやりたい思いが、被災者を見ていると感じるが、三宮を後にした。途中大混雑の中、尼崎を過ぎても被害が続き、京都市内に入ったとたん、地震がなかったようにスムーズに車が走っていました。
 地震後、自分に何か出来る事と言う事で、新聞に「子どもさんを預かります」という記事を載せました。しかし、遠くであるということもあり、連絡はありませんでした。その後、大津市ボランティアセンターから芦屋の方でバイクを希望している情報を得ましたので、その方にバイクを譲ることになりました。
 その方が言うには、皆が被害を受けているならあきらめもつくが、こうして同じ地域で被害を受けなかった所があることが、辛抱出来ないとおっしゃっていた言葉が印象的でした。
 この地震の後、日赤の災害ボランティアが出来、年一回の訓練に参加をしています。
 地震直後はあんなにボランティア活動が盛んだったのが、人ごとのように感じることが情けないと思います。昨年わが家を引っ越したきっかけに、就寝場所にはタンス等倒れるものは置かず、ニ階ベランダにロープを置いて非難に備えました。また家内の実家老夫婦の近くに引っ越しました。また隣の人が、年寄りの方なので久しく付き合いをしています。
 地震がわが家で起きても、備えだけはして、家族、近隣者の方の安全を守っていきたいと考えます。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター