Memorial ConferenceVIわたしの「災害ボランティア」体験 DRS
Memorial Conference in Kobe VI 〜 わたしの「災害ボランティア」体験

避難所での春祭り、そして今、ハローボランティア
ハローボランティア・ネットワークみえ 山本 康史

 私が震災のボランティアに参加できたのは大学の後期試験が終わった3月初め。すでに復興に向けての声が聞こえ始めたころでした。
 大学生協のボランティア募集に個人参加して西宮のボランティアセンターに赴き、そこで指示された先が東須磨小学校の避難所でした。早速小学校に行ってみると、そこでは5名の学生ボランティアがおり、避難所のお手伝いをしていました。
 避難所の管理は校長先生、そして被災者の自治組織の方々でしっかり行われており、その為か避難所の雰囲気もよく、ボランティアの仕事は主に食事の分配、子供の遊び相手、年配の方の話し相手という、とても簡単である意味気楽なものばかりでした。そんなある日、校長先生の発案で、子供たちのための春祭りをやろうという事になりました。
 私たちボランティアは校長先生や被災者の方々の指揮のもと、救援物資の中から冷凍のお好み焼きや焼きそば、くじ引きの商品を探し出し、レンタル屋さんからわたがし機や鉄板を借り、輪投げやバスケットゲームを用意し、近くの牛乳屋さんからは牛乳ビンのキャップをいただいて、それを手作りのお金にして避難所や近所の子供たちに配りました。
 そして春祭り当日、私はお好み焼きの手伝いや輪投げゲームの手伝いをして、避難所や近所の子供たちと共に思いきり楽しい一日を過ごしました。子供の笑顔に誘われて、避難所全体がやさしい気持ちに包まれたようでした。
 その翌日、またいつものように子供たちを連れて近くの公園でサッカーをした帰り道、ひとりの男の子から「お兄ちゃん、地震が起こって、どうだった?」と聞かれました。
「僕は大丈夫だったけど、大変だったろう?」と聞き返したところ、彼は「ううん、お兄ちゃんたちに出会えたから良かったよ。ありがとう。」と笑顔で答えてくれました。僕は心の中で「僕の方こそありがとう。」と答えました。
 現地に入る前まで、被災者の方々はもっと大変な、つらい日々を送っているだろう、僕も送るだろう、と思い込んでいました。しかしそれはいい意味で裏切られたように感じました。「神戸の人たちは僕が思っていたよりずっと陽気に、神戸の子供たちはずっと逞しく、震災を乗り越えようとしている!!」
 そしてこの思いは、このとき以降の私自身の災害ボランティアに対する考えにも大きな影響を与えてくれました。「楽しくてもいいんだ」「逞しく前進していこう」と考えることが出来るようになり、それが3年後の日本海重油事故に際する、そして今行っているイベント支援で地域に防災の知恵を残していこうという「ハローボランティア・ネットワークみえ」を立ち上げる際の原動力になっているのです。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター