Memorial ConferenceVIわたしの「災害ボランティア」体験 DRS
Memorial Conference in Kobe VI 〜 わたしの「災害ボランティア」体験

私の災害ボランティア体験 '95.4.20〜4.26
広島県 小川 敬三

 40年間の会社生活を終え、少しでも地域に溶け込みたいと思っていたころ、視覚障害者のための点訳講習を受け、ボランティアの知識もないまま点訳ボランティアの仲間に入り、1年余り続けていました。
 そんなある日、福祉センターで阪神大震災ボランティア募集の掲示を目にし、自分のような者でも大丈夫だろうか?現地での生活はどうだろう?等々の不安と、何かしたいと言う好奇心とが交錯するなか、'95.4.20早朝、鷹取中学校へ出発。
 中学校に到着すると簡単な説明を聞き、持ち場についたものの、要領を得ずただ右往左往し、邪魔者扱いされているのではとさえ感じました.
 初日の作業が終り、寝室代わりの教室の一部で数人が寝袋にくるまって色々話し合っているうちに、父親を早く亡くし戦中戦後、母の手一つで隣近所の助けを借りながら育ててくれ、そのお陰で今があることなどへの思いが共通していることを知り、わたしはそのとき、母の後ろ姿を思い浮かべると同時に、支えて下さった方々への感謝の気持ちで込み上げるものを感じました。
 翌朝起きて見るとお年よりの方がトイレや廊下の掃除をしておられ、“おはようございます”と声を掛けると、『おはよう、よく眠れたか!寒くなかったかの?』と、優しい言葉が返ってきたり、ある人は『汚れ物があったら持っておいで一緒に洗ってあげるよ!』と親切に言って下さったりで、昨夜の思い詰めた気持ちはどこへやら。
 みなさんと一緒に料理づくりを楽しんだり、授業を終えた中学生たちとも楽しく作業ができ、夜は学校のロビーで一緒にテレビを見たり、将棋をしたり、広島出身の方からは“台風19号の時はどうだった?”と懐かしく話かけて下さるなどで、みなさんに親しみを感じました。震災後初めて水族館が開演されたときには、わたしは車椅子の方の世話を引き受け、被災者の方たちと一緒に水族館へ行くこともできるなど、本当に有意義な体験が出来たことに感謝しています。
 あのとき以来、積極的に人との出会いに努め『共に生き・共に歩む』喜びに生き甲斐を感じ、今では点訳作業にとどまらず、いろんな方々とも自然体で接することが出来るようになりました。最近では、中学校の選択教科で点訳を選んだ生徒さんとも週1回関わったり、ときには自然保護活動にも参加しています。
 最後に、共に元気一杯頑張りましょう。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター