Memorial Conference/VII/すまいとくらしの再建 | ![]() |
明石市 藤本 英雄 あの日の朝、私は洗面を終えて書斎に向かっていた。ゴーという地鳴りがしたかと思うと、大地が揺れ、身体が前後左右に突き上げられ、次には上下に、これでもか、これでもかーーーと容赦なく揺り動かされた。私は天井から落ちてくる砂を頭から浴びながら、柱にしがみつき、亀のように蹲っているだけだった。長い、おそろしい時間だった。 阪神・淡路大震災は私の命こそ奪わなかったが、家を倒壊寸前に追いやり、私の人生計画を根底から覆した。「全壊」という烙印を押されたわが廃屋で、余震の恐怖に怯えながら暮らすことになった。さらに悪いことには、近くに住む息子の家に避難命令が出て、一家四人が移ってきた。倒壊の恐怖が私たちを眠らせなかった。しかし、避難するところもなく、いくら悔やんでも仕方がなかった。今後「後を振り向かないで、前進しよう」と誓った。 「修復か再建か」を連日連夜、話し合った。再建するなら、二世帯住宅にすることも議論した。最終的に、私たち二人だけの家を再建することに決断した。「矢が放たれた」のだ。 建築業者の選定、設計図の作成、建築許可の申請等、煩わしいことが山積した。引っ越しと家の「解体」のための荷物の整理に、妻は顔にヘルペスを出しながら、必死に頑張った。 幸い、苦しい毎日が続いたが、この時に、思いがけない多くの人々から、物心両面の援助をいただき感激した。人の厚意をこの時ほど有難く、嬉しく思ったことはなかった。4月13日「解体の日」。ゴー、バリ、バリーーーと耳を聾するばかり轟音をあげて、ブルドーザーが、まるで阿修羅のように、30年間の思い出が一杯詰まったわが家を壊していく。覚悟はしていたが、身を削られる思い。夕方には、煙が燻る瓦礫の山となっていた。 満開の桜も散り、新緑が萌え、バラの花が咲き、空に鯉が泳ぎ、時間は確実に時を刻んでいった。5月末には待望の上棟式。内部の大工仕事が本格的に始まり、一日、一日家らしくなっていく。暑い夏が来たが、毎日建築現場に行く。わが子の成長を見守る思いだった。 10月末、ささやかなわが家が完成した。鍵を渡され中に入った瞬間、思わず妻と手を取り合って祝福した。苦労が大きかっただけに喜びも大きかった。 『家は城である』というイギリスの諺がある。現在、バリア・フリーの新しい城で、誰に遠慮することもなく、気ままに生活をエンジョイしている。そして、あの時の決断を、今でも正しかったと思っている。 |