Memorial ConferenceVIIすまいとくらしの再建 DRS
Memorial Conference in Kobe VII 〜 すまいとくらしの再建 −わたしたちの場合−

幸せへの道標
神戸市須磨区 荒井 勣

 私は今、とても不思議な幸せ感を味わっています。震災当時、私たち一家五人は、西区に中古の建て売り住宅を買い暮らしていました。バブルの絶頂期に住宅ローンで買ったものです。地震で家には、無数のひび割れが走りましたが、外見さえ辛抱すれば暮らせました。
 震災前からボランティアで、ひまわりの花いっぱい運動を展開していた私には、激震地に多くの知人友人が居り、すぐに給水活動、お風呂の出前、避難所の支援と仕事も家庭もかえりみず震災ボランティアに走り続けました。
 当時の私は、従業員3人の特殊自動車の販売店を経営していて、同業者が「ダンプを何十台売った。修理売上を三倍近くにした」と言いますが、その頃の私には仕事より、心から喜んでくれる避難所のボランティアの方が正直言って魅力的でした。ガレキの町にひまわりをと配るひまわりの種も、私なりに夢を配達しているようでとても楽しいものでした。
 そして夏。空地や仮設に元気に咲くひまわりの写真がマスコミに流れるようになり「これで良いんや」高まる胸に何度も言い聞かせました。
 一年たち二年たち、仮設も消え人々の暮らしも落ちつき「そろそろ仕事に力を」と思った頃には、神風のように吹いていた復興景気の風も止んでいました。何とか仕事をと得意先廻りをしても、車の買取依頼ばかりでした。次第に資金繰りに追われ、当時(十三年)一月、意を決して店を閉めました。当然の事ながら経営責任を取り、家も財産も債権者に提供し、子供三人とも別居しました。唯一残った財産が、ひまわりの種でした。
 朗報を耳にしたのは、そんな時でした。ひまわりが神戸21世紀復興記念事業にシンボルフラワーとして選ばれたと言うのです。
 「よし!ひまわりオジサンになろう」自ら手をあげ事務局に企画を持ち込みました。「捨てる神に拾う神あり」とは良く言ったものです。恥を忍び現状を話すと、ポートアイランドにつくる夏のひまわり畑の責任者として六ヶ月間、雇ってくれることになりました。
 「元気に芽を出せよ」祈る気持ちで約三十万粒蒔きました。埋め立てのやせた土地でしたが、多くの市民ボランティアの協力もあり「感謝のひまわり園」を無事完成させ、責務を果たすことが出来、幸せなひまわりオジサン役でした。
 記念事業は終り再び失業しましたが幸せ感は変わりません。夏のボランティア仲間が集いサンフラワーフレンズ21を結成し、感謝のひまわりを咲かせ続ける事になりました。ポーアイに用地の確保も出来、その準備に追われています。春になったら「ひまわりの楽校」を開校の予定です。ひまわりの育成を通して楽しく生き甲斐づくりをする学校です。人生迷路を歩いて来た私ですが、この楽校づくりが今の私の「幸せへの道標」に見えます。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター