Memorial Conference/VII/すまいとくらしの再建 | ![]() |
西宮市 河田 千賀子 植物状態で半年以上の闘病を続けていた母が他界し、49日の法要を終え 「今年こそ いい年でありますように・・・・」とむかえた 平成7年の新年でした。 ところが、あの朝、幼い頃の遊園地であそんだマジックハウスのような搖れにとびおきました。しかし、その搖れよりショックだったのは混乱した家の中よりも、夜があけてそとからみたかろうじてとなりの家によりかかって、たっている傾いた我が家でした。そういえば、リビングの床はつり橋のような間抜けた感触でした。後年その搖れは、体「PTSD」としてのこっているのに気付きますが・・・・ 大学生と受験をひかえた高校生と中学生と私たちと犬1匹・・・・このいまにも倒れそうな家に住むことは、無理・・・今夜から 寝るところを探さねばなりません。 地震にあった不運をなげいている暇はなかったのです。 「まだ それどころではないよ.早すぎる・・」としぶる夫をひっぱり3日目の朝、借家さがしをはじめました。ところが、どこもかしこも不動産屋さんは店がつぶれて閉まっているではありませんか。 やっと、となり町の駅前に営業中の店を見つけたのですが、なんと店内はバ−ゲン会場さながら、たったままの人、人、人。カウンタ−ごしに提示される物件に、現物も見ずに 家賃だけをきいて、「契約しまーす。」と叫びました。選んでいる余裕なんてありません。早いもの勝ちです・・・・ 大阪から8時間もかけてやってきてくれた、引越し屋の若いおにいさんも疲れで真っ青になりながらの深夜におよぶ命がけの引越しでした。 その家は、駅から坂道を25分ものぼる山のうえにありました。引越してから、いのししのように、あの日から突っ走ってきたものの、これでよかったのかしら・・・・とおもい、これからのことを考えると、駅にむかっての坂道を車でカ−ブをきりながらこのまままっすぐ谷底に落ちてしまえたら・・・・と不安にかられることもありました・・・・ しかし、私たちがこんなにいのししになれたのには、大きな理由があります。 それは・・・・・私たちは幸い、犬1匹とも、命を落とさなかったこと・・・・に尽きるのです。家は、再建できます。でも命はかえってきません。いまも、あの地震で命をうばわれた方々のご遺族は思い出せない思い出したくない日々でいらっしゃるとおもいます。 その山の中の家に、都合2年あまり住む事になりました。そこで不思議なことがおこりました。地震という自然災害にうちのめされ、自分を見失いかけていたわたしたちを、回りの山々の自然が癒してくれているのに気づいたのです。 家賃のかさばることもあり、私たちの新しい家造りは、引っ越してすぐ、はじまりました。 このおおいなる自然のなかに・・・・というおもいを、お持ちの素晴らしい設計家の先生とも偶然出会い、思い入れいっぱいの家に夢中で取り組みました。 いま、兵庫県の県木でもあるおおきな、おおきな楠の木のしたに私たちのシンプルな家はたっています。 この不況下に家のロ−ンは大変です。 でも、わたくしたちは地震から、こまったときはいつも誰かに助けてもらい、人の心のあたたかさを、しったような気がします。 私たちの人生の前に突如立ちふさがった自然災害地震は余儀なく、私たちに回り道を命じました。 回り道は難所だらけでしたが、そこでは多くの人の暖かな手に、助けられました。家族もひとつになってがんばりました。 いま、大宇宙のなかのちいさい人間であるという認識と、自然への畏敬の念をおぼえます。 また、同時に人のあたたかい助けによって、家が再建できたのだとおもいます。 |