Memorial Conference/VII/すまいとくらしの再建 | ![]() |
神戸市兵庫区 武田 則明 建物の解体は丁寧に梁や柱をはずせば資源となり、充分に別の建物に再使用する事が出来るが、蟹の爪で解体するとゴミになるだけである。公費解体は道路や宅地を早急に更地にする効果があったので功も大きかったが期限が付いていたために多くの市民が改修できるのに壊してしまった。 報告する俣野邸の場合も解体の一週間前に俣野氏から一度見て欲しいと云われた。少しいがんでいるが充分に直せると報告した。どのように直したかは以下の通りだが、隣家は同程度の被害状態であったが解体してしまい、俣野邸の改修が終わる前に2×4の賃貸住宅が出来上がった。隣家の人が俣野邸の竣工を見て、この様に直るのだったら自分もやりたかったと云われた。私にとっては大変な誉め言葉であったが、この様な気持ちの市民が多くいたと思うと地元の技術者としてその気持ちに対応できなかったことに悔しさをおぼえる。 私は震災の前3年間神戸市住宅局と共に東川崎、西出、東出町をケーススタディーして、インナー長屋の街並誘導計画にたずさわっていた。俣野氏は西出町の代表として出席されていた。 俣野邸は施主の記憶によれば明治の未に建てられた。通り庭、格子窓、漆喰壁など京都に見られる典型的な町家である。大屋根は大波鉄板が瓦の上に葺かれ、袖壁うだつが鉄板で養生されており基礎は上にのべ石を敷きその上に土台なしにいきなり柱が建っており、柱の根元部分、住、母屋、梁が老朽化していた。 改修方針としては、外観は出来るだけ創建当時の姿に復元し、内部は通り庭の台所が老人にとって上がり下がりが大変なのでレベルを合わせたこと、浴室・WC等の水回りが特に傷みが激しいので改造した。天窓があったが2階に床が組まれていて、1階の和室が窓がなく暗いので吹き抜けを復活し、浴室の屋上に物千台があったが出入りが大変なので取り止めて2階にサンルームを増築した。表の間は事務所の応接間として、玄関土間に合わせ土足で仕える様に改造した(改築前後の図面参照)。 【●所在地/神戸市兵庫区西出町1丁目 ●建築主/俣野寛、施工/(株)宮田組、設計/武田設計 ●竣工/1997年3月 ●規模構造/木造、地上2階建 ●建築面積/68. 39平米、延床面積/116. 83平米】 補修には新築以上の手間暇がかかる割に工事費が低くせざるをえず、その設計監理費が少ないし、それを行う人は被災者であるので充分なフィーを頂きにくい。これらのことが補修出来ない原因のひとつだと思う。したがって解体費を公費で持ったのならば、その補修に対する設計費や工事費も一部公費で負担すべきでなかったかと思う。 私達は戦後の復興と経済成長は使い捨ての右肩上がりの経済発展とバブルの崩壊を経験した。その後の長い不況と、この度の大震災は使い捨ての効率の追求ばかりに追われた生活基準を改めて、再び省資源、環境問題又右肩の上がらない成長の限界の中で、建物の作り方はいかにあるべきかをもっと真剣に考える時だと思う。この意味から建物の復旧、修復補修から学ぶべき事は多くあると思う。 |