Memorial Conference/VII/すまいとくらしの再建 | ![]() |
神戸市北区 吉田 淳治 1.我が家の實災状況 我が家は2階建て・木造瓦葺きにて1977年秋に建築。神戸地震の際には外壁に数カ所に渡って亀裂・屋根瓦が10数枚移動・浴室壁にも数カ所亀裂が生じ、建物に関してはこれだけで、家財道具は内々尽くしではないが何も倒れない・落ちていない・割れていないの情況で、箸立てさえも・グラスさえも動いてはおりませんでした。 2.過去の経験 1948年6月28日に福井地震が発生、我が家は勿論我が村のほとんどの家が全壊、私は外で遊んでおり、おむかいの家の下敷きとなったが、おむかいの家は基礎が家より数10センチメートルもはみ出しており、ちょうど腰を掛けるのに都合の良い状態。私と友人がその基礎に座っていると時に畑仕事から帰宅する近所のおばあさんも座って休憩中にあの福井地震が発生、私は何か判らないが怖い・怖いと言いながらその基礎に添い寝するように地べたに横になったが、近所のかのおばあさんが大丈夫だと言って私を抱き起こそうとしたが、私はだだを捏ねるように怖い・怖いと言っておばあさんの言うとおりにしたがわなかったのです。その内そこの家が倒れて来たからおばあさんと私の友人の手を引いて逃げようとしたが逃げきれず、その家の下敷きになって軋死、私は基礎の陰になって無傷で生き埋め、救出は翌日の明け方。 3.我が家の震災復興 1の項目でも述べましたが箸たて・グラスなども倒れていないし動いていない訳には、福井地震後、家族又は家族の知人などが言っているのを子供心になにげなく聞いておりましたが、私も妻を娶り、子供も出来ると子供心に聞いた話を思い出し、家具一式は勿論茶箪笥の中に入っているグラスや箸たてなどなど、全てを余裕を持って整理整頓をする。まず家具は壁から10センチメートルは空けて配置する。茶箪笥の中も茶箪笥の内壁から3センチは離れておき、又食器類もそれぞれ引っ付けて置かず、若干離して置くようにしました。その結果数も食器類も各ビン類も倒れず動かず割れずに済みました。しかしながら、建物の修復などに150万円が掛り、震災復興特別融資を利用してさくら銀行から借りました。未だに返済中です。 4,庶民の対応 私の住んでいる地区は全壊は在るには在りますがほとんどの家が一部損壊で半壊はそこぞこに在り、全壊は一町内では2・3軒でしたが、水道が止まり、ガスが止まり、ガスは3週間後、水道は1週間後に復興。しかしながら、スーパーから食料品が開店後じきに売り切れ、そのために高齢者や私達のような身体障害者は、あの殺気だったスーパーの店内では買える情況ではなくだれ一人手助けしてくれる人はありませんでした。思いきってご近所の方に買い物を頼んでみたら、あんたら市役所がしてくれるでしょう。わたしら自分自身の事で精一杯ですから役所に頼んだらといって何もしてはくれませんでした。 5,行政の措置 我が家は一部損壊ですので、いわゆる義援金(日本赤十字社から)もなく、国民健康保険加入者には、建物の損壊程度に応じて見舞金が支給(我が家は1万円)が支給されただけです。又震災後マッサージの患者が激減、そのために生活が維持しがたく、区役所の生活保護課に相談したが、住宅ローンを返済中では財産形成中になるからと言って、全く話になりませんでした。又住宅ローン(月額9万円)と云う情況では返済を続けられないので、銀行と簡易裁判所にて調停の結果支払い期間の延長と利率の削減をこうじて貰えて現在では月額53000円となっておりますから非常に助かりました。神戸市からは罹災証明書(一部損壊)では建物の情況で、その家庭情況では金持ちでも貧乏人でも建物だけで全壊・半壊・一部損壊と分けるだけで実情に合っていないと思います。すなわち罹災証明書の発行について、建物だけで判断するのでは無く、其の人の経済状況を考慮して、年金暮らし・身体障害者・年収などを考慮して罹災証明書を発行するようにして欲しいものです。 私の知人Bさんは大手製薬会社の専務で年収2千万円の家計情況で、家は半壊で修復した結果300万円掛かったそうですが、所得税・市民県民税の払い戻しが在ったために、修復費用はほとんどいらなかったと聞いております。又知人Sさんは75歳の一人暮らしで年収は国民年金の数万円しか無く、家は全壊で修復に7・800万円も掛かるとの見積もり。修復費用が捻出できず、全壊のまま売りに出し市営住宅に入居となった次第です。この二つの例を見ても建物だけの罹災証明では片づけられないのではないでしょうか?したがって本人の実情に似合った対応をするのが行政ではないでしょうか? |