1 高松町 家屋倒壊・家族死亡例

インタビューへ


調査日時 11月18日(月)19:00〜21:00
調査対象 Y・Rさん(77)
被災当時の住所 被災当時の住所:高松町11番地
現在の住所も同じ(ただし敷地は筋向こうに移転)
家族数・特性 3人(女性だけの3世代世帯)
住居形態(被害の程度) 木造2階建て・築60年
住居以外の被災状況 対象者の娘が死亡

 ヒアリングの対象として抽出した主な理由
  高松町における家族死亡例として選んだ。高松町での震災による死亡は5例。対象者は母親。女性だけの母・娘・孫の3人暮らしだった。死亡した方はバトミントンなどを趣味とする活発な40代の女性で、書道教師をしていた。インタビューは全壊した家と路地をはさんでいる対象者所有の借家。ここも全壊したが、新たに建て直して現在対象者が一人で住んでいる。孫は大阪市のアパートに間借りしている。息子が芦屋で所帯を持っている。名古屋には娘がいる。死亡した方とあわせて、3人の子供がいた。
   
 震災直前(前日)の状況
  死亡した娘は前日、町内会の餅つき大会に出た後、早めに2階の自分の部屋に上がった。
布団は部屋の中央に敷かれていた。対象者は1階で布団、孫は2階の自分の部屋でベッドでそれぞれ就寝した。全壊した家は、対象者が休んでいた1階東側部分が平屋になっている。東側は道路に面している。それで、2階部分が西に向かって倒壊した際、対象者は無事であった。同じように2階の東部分に寝てい孫も助かった。死亡した方は2階の西側の部屋で寝ていて難にあった。被災した家屋は、昭和8年築の古い建物であった。
   
 95年1月17日5:45
  2階部分が家の裏手に崩れ落ちる格好で倒壊した。死亡した娘は折れてきた梁で圧死したと対象者は述べている。孫は2階の屋根がははがれた隙間から脱出、助けを呼んだ。対象者は自力で脱出した。家が駅に近い立地条件にあるために、すぐに近隣や通りすがりの救援の人数が集まった。2階に屋根から上った男性数人によって、救出されたが、既に死亡。Oさんが心肺蘇生を試みている。遺体の外見は傷ひとつなかった。
   
 その後の1月17日の行動
  Oさんの娘婿が自分の車で県立病院に搬送した。遺体は自宅でもどった後、瓦木小学校に安置された。それらのことは近所の人たちが世話をした。病院から帰ると、遺体を安置できるように1階の表座敷を近所の奥さんたちが片づけてくれた。1階部分も2階の乗っていた裏側の損壊程度は甚だしかったが、表側はなんとか建っていた。3日たたずして名古屋の娘宅に引き取られたこともあって、避難所にはいかなかた。濃尾地震の経験から水はかねてから風呂に張っているようにしていたので、当座困らなかった。
   
 それからの2週間
  翌日、遺体は市内の葬儀場が預かってくれることになった。3日後、孫は芦屋の対象者の息子宅に落ち着いた。対象者は名古屋の娘宅に引き取られ、10日間同地で過ごした。28日に尼崎で火葬された。その後、芦屋の息子宅に同居した。仮葬儀は、1月28日に尼崎で行った。2月5日に西宮で本葬を行った。
   
 生活回復の状況
  仮設住宅の抽選に2回目で当たったが名塩のほうだった。交通が不便なので2〜3日しかいなかった。仮設住宅は物置として使った。新築の家ができるまで、芦屋の息子宅に同居した。その間、公募に当たって、息子の嫁は子供を連れて、ニュージーランドに3週間でかけたりしている。現在、住んでいる家が9月にできたので、引っ越した。孫は交通公社に勤めている(当時は神戸の長田支店)が勤務場所が大阪に移ったので、大阪で一人暮らししている。孫は実父(死んだ方のご主人)の方の家系ではただ一人の生き残りなので、仏壇を持って暮らしている。一つの家で仏壇が複数あるのは縁起がよくないそうで、一緒には暮らせないそうである。本宅も工事中で、完成後は息子と同居したいと思っている。