■ 1 高松町 家屋倒壊・家族死亡例

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1.

発災直後

2.

家の被害の状況

3.

娘の死

4.

亡くなった娘のこと

5.

家の解体と再建

6.

仮設住宅と息子の家と

7.

お風呂の工夫

8.

孫のこと

9.

近所付き合いの大切さ

10.

災害への備え

11.

お金について

12.

電話のこと

13.

情報が伝わらない

14.

おわりに

1.発災直後
152 動因と情動
153 行動の変化
353 室内装飾と配置
731 災害(建物被害状況)
752 外傷

はじめね、ドーンていいましたんですよ。爆弾でも落ったんかねと思って、私飛び起きたんですよ。ほんで、2、3歩あるいたらユサユサっとこう横ゆれになりまして、そこで私が倒れたん。ほしたらタンスが落ちてきて、それでもねタンスが自分の体へ落ったのが、わからなかったんですわ。さあ、ゆれおさまったから起きて行こうと思ったら、重いんですわ。その時は、痛さより重いという感じですよ。たぶん、出口のとこに置いた上置きタンスの軽い方(ハンドバックやったか、なんかそんなちょっとしたもん入れてる)が私の体へ来たんとちがうかなと思いますけど。ほんで私はもう夢中でね、火事になったら困ると思って、娘の名前呼びましたけど、もうその時娘は即死ですからね、返事しなかったし。また私んとこ奥の部屋の8畳間ですけど、平常でもそこから呼んでも全然聞こえんのですわ。せやからもう、これはいかんと思いまして、もうそれこそ一生懸命死に物狂いに這うて出ました。タンスの下敷きになったけれど、右足を内出血しただけですみました。

私ねえ、それまでに北海道で地震がありましたやろ。それで、娘にも孫にも「地震が来て、物が倒れてきても大丈夫なようにして寝よう」と言いましてん。私も一階の8畳間のちょうど中心に寝てましたんや。タンスを4本並べてましてね、タンスが倒れてきても大丈夫。額が落ちてきても大丈夫。電気が落ちてきたら足下に落ちるという計算の元に寝てました。それがもう、ドンという音で私飛び起きたからね。それで歩いたもんで倒れたんですわ。それから、タンスのちょっと横に置いてましたテレビが頭の真横へ飛んでましたけれど、奇跡的に逸れました。タンスは全部倒れましたんですよ。それみんな衣装を入れてましたからね、その後にね、男の人3人で起こそうと思っても重くって起きなかったんですって。確かにこの衣装の重いタンスが落ちていたのでは、死んでますね。
ほれで、唐紙開けれたんですわ。開けれたんですけど、私はもう倒れたなりで、ちょうど身体が出かけたからね、唐紙をポーンと押して向こうへ倒して出てきました。電気なんかついてませんので、真っ暗です。真っ暗ですけど、ま、いつものあれですからね。出るとこはわかってますから。

ほんで玄関にいつも靴そろえてますから、パッと靴はいて、そして表へ出ようと思ったら、私んとこは女ばっかりな生活ですから3つ鍵かってまして。ほんで2つはこうちょっと出てまして、ひとつが鎖ですからね。それをはずそうとしてたら外からね、たぶんあのOさんの奥さんやと思いますけども、「Yさん、Yさん」と私を呼んで下さったわけ。それで、外の人たちが開けようと思って引きはるから、なかなか私が通れへんの。「ちょっと引かんといて下さい」言うてね、ほんでまた引き戻して開けて外へ出ました。

私はまあ下階におったけども、孫は2階で寝てました。孫はね、6畳間の方のベッドに南向きで寝てました。ほして地震があったからびっくりしてふとんを被ったんですって。ほして、止んでからちょっとしたら、屋根に穴開いて瓦が落ちそうになってたんですって。ほんでベッドを足場にしてそっから出て来て無傷です。

2.家の被害の状況
342 住宅
352 家具
353 室内装飾と配置
[家具の移動と破壊]
[家の強度]

本宅の方は2階建ての土壁で、昭和8年に建てました。ほんで昭和36年に、3人の子供が大きくなりましたので増築しました。さらに炊事場とお風呂場と茶の間と応接間をちょっと改造しましてね。ほんでその増築したところに私が寝ていまして、どうもないんです。ちょっと天井が下がってきたり、押し入れの上の敷居が歪んで、押し入れの唐紙折れ曲がってましたけどね。中はもうぐちゃぐちゃ、ひっくり返ってたりね、ガラスが割れたりしたりね。茶の間の方と炊事場はどうもなってやしません。

あと瓦がね、あの昔の家は土の重い瓦でしょ。ほしてこちらの方はね、今のようなスレートですか、あんな屋根ですから、軽かったんですね。だから、屋根が重くて、その屋根の重さに、梁とかあんなものが支え切れなかったんですね。それでね、2階の大屋根の瓦は全部西へ落下しました。Nさんの方へ。あれ、東へきたら私たち3人ともだめです。ほんで柱はどうもなってません。お2階は知りませんよ、あれから行ってませんから。下は何ともない。ほんで唐紙でも、すっと開けたり閉めたりできましたもん。階段は土壁の砂でいっぱいでしたね。

ガラスは、応接間の本箱のガラスが割れて本が全部出ましたね。その本箱の前にね、夏のテーブル(ガラスの厚いの)をおいてましてね。そこへ本箱が倒れたけれど、テーブルはどうもなかったです。あと娘が茶ダンスを置いてましたがね。それ倒れてないから、ガラス全然割れていませんよ。私とこね、炊事場にもガラスの扉ありますわなあ。それなんかね、コーヒーや紅茶沸かすポットとか大きなお鉢やね、3つ程入れてありまして、それが割れただけ。冷蔵庫が西向きに置いてありましたもんでね、一番下の野菜ばかりが入っているところ、あそこが出まして、冷蔵庫がちょっと動いてましたね。10cmぐらいでしょうかね。その前に食台がありましてね、ちょうど食台に当たって止まった思いますけどね。私の部屋の習字の道具のおいてある本箱はどうもなかったんですけど、ガラスが1枚割れました。あれたぶん硯が出て割れたんと違うかな。あと、お仏壇が倒れてたらしいです。私が帰ってきた時にはもうちゃんと起こしてくれてましたけどね。扁額かけていたんですけどね、それがおちてガラスが割れましたね。

3.娘の死
死の状況と救出活動
152 動因と情動
763 臨終

私んとこ、あの一番奥の本宅の瓦屋根が西へ飛んだんですねん。ほれで2階には孫もいたんですが、ひとつの方には娘がおって、梁がこう折れて、娘のお腹の上へ落ちてきたんです。部屋には三面鏡とそしてから工業用のミシンがあったんですけども、ちょうど中心に寝てまして、そこへ梁が落ってきたんですね。ほんであとから聞いたのは、お腹の破裂で即死らしいです。でも、顔色がきれいでした。ちょっと口の中ね、砂が入ってましたみたいですわ。どこもどうもなってませんでした。手も足も傷はついてませんし、どっこも血ひとつ見えませんでした。ま、お腹の中が破裂でしょうからね、全然わかりませんよ。私はまた、死んだとは全然思わないしね。頭が真っ白言うでしょうか、あの時はまあポーとして待ってましたから、ほれで顔、普通でしたらね、鼻にちょっと手あててね、そして息するかどうか見るのが普通ですわね。そんなことなんて考えられませんでした。

救出
[コミュニティの互助]
孫はなんとか出ることは出ましてね。ほしてから、屋根の上から「お母さん」・・・「ママ、ママ」言うて、叫んでましたけどね。それを近所の方が聞きつけて、ほんでみんな近所の男の方が全部2階へ上がって出して下さったんです。2階に上がるには、多分お隣からはしご持っていらっしゃったと思います。屋根がこうひしゃげたんで、出していただく時にね、みんなよう動かせんとか言うて。そしてね、のこぎり貸してくれ言うてね、のこぎりで切って出してくれはったらしいですよ。

152 動因と情動
291 一般的服装
出していただいている間、私がね薄い寝間着(ネグリジェ)着てましてね。寒いのでね、隣のお医者さんの奥さんがズボン持ってきて「おばあちゃん、履きなさい」て貸して下さって。そして、ちょっと向こういったTさんてお嬢ちゃんが、ダウンコートですかね持ってきて着せて下さいましたんで助かりました。靴ははいて、靴下もはいていました。私はいつも足が冷えるから靴下を履いて寝てましたので。それで私は寒いと・・・、そういう時寒いと思いやしませんよ。何にも考えられなかった。孫は、あの自分でね、すぐに赤いオーバーを着て出てきました。洋服掛けにかけとったものをパーッと出して。私なんか、そんなん、あんた出すどころの騒ぎと違う。

763 臨終
[救急搬送]

ほんで娘が出てくると、Oさんとこのお嬢さんが、心肺蘇生して下さったけどもね。だめでしたからね。向こうの方の、Yさんていう人んところのだんなさんが車持ってきて、県立西宮病院まで連れていって下さって。車には孫と私も乗って行きました。助手席に乗ってね。そして後ろにここの息子さんと、それからN産婦人科の看護婦さん(Oさんの娘さん)も乗って行ってくれはったんやと思いますけど。Oさんのお嬢ちゃん2人ね、看護婦さんやから。その方がね、一生懸命して下さったんですよ。せやけどもう、そん時だめでしたんでね。そこにいたっても、私は死んだと思いやしませんからね。

病院へ
204 出版物
207 ラジオとテレビ
264 食事行動
494 道路輸送
625 警察
743 病院と診療所
763 臨終
[死亡情報と検死]

病院まではあんまり渋滞やないけどその病院がね、亡くなった方やとか傷した人がねえ、もう見るに見られない。本当に地獄ですね、ひどい人でしたよ。ほしてまあ、亡くなった人もねえ、うちらみたいに連れていってねえ。なんかぼーっとして、人数眺めたりしてらっしゃいましたけどね。

娘を車から降ろして、勝手に中入りました。そいで少したってからお医者さんが見て回られまして、もう亡くなってます言うて。もうそこまでに亡くなってましたんですけどね。孫が何か書類を書いてました。それからもうすぐ連れ帰りました。亡くなってますいわれたから、私はまたすぐ連れて帰るもんやと思て。みなさんねあの時はすぐ連れて帰りましたよ。もうそしたら皆さんがちゃんと部屋を掃除してくれはったもんでね。

それで警察の検死がなかったでしょう、だからなかなかテレビでも放送ないし、新聞にも出ませんでね。名古屋の親戚が新聞社に電話をかけてね、テレビにも何にも出てないから、これでは親戚がわからんから出してくれて言いましたけど、なかなか出ない。そのうち孫がね、新聞社へ電話してやっと出ました。

その間、食事は何食べてたんだか、覚えてないですね。あの当日の晩はね、となりの奥さんが握り飯と乗りをくださったんです。ほんで、食べなかったと思いますよ。次の日まで置いたと思いますわ。

避難
494 道路輸送
497 鉄道輸送
593 家族関係
731 災害(二次災害・避難)

それから私、19日には名古屋の娘のところに行きました。というのは、裏のマンションがいつ倒れるかわからないから避難してくださいって、通報が消防からあったんです。その当日は遺体はね、西宮の瓦木小学校に預けられましてね。私、ちょうど娘に付き添ってましてね。で、翌日はもう西宮のベルコですわ。もうね、少しぐらいお金かかってもちゃんとします言うてくれはったから、預けてますねん。それでもう、私が家に戻るとね、ちょうど名古屋の長女が婿と2人で来てまして。近鉄で来たらしいんです。名古屋から。そして大阪へ行って、そこからタクシー使って西宮へ行ってくれ言うたら、よう行かん言われましたん。しょうがないで、一晩ホテル泊まりまして翌日来ました。ほんでもう裏が壊れる言うからね、怖くて。その時は何にも取らんと、もう閉めるだけ閉めてね。それが、他はどうもないんやけどね、茶の間の戸が1本だけ飛んでましたんや。一生懸命娘と2人でも力がなくてなかなか入りませんわ。そしたらそこへ消防署の人かなんか4、5人いらっしゃいましたからね、「すんません、ちょっと入れて下さい」て言うて頼んで、ほして入れてもらいまして。ほんで、娘と早速名古屋へ帰ってしまうつもりで鍵買ってね。孫に「どうする」言うたら、「私はお母さんを毎日見に行きたいから、行かない」言うてね。ほんで、芦屋川の駅から4分のとこに息子がおりまして、そこはどうもなかったんですねん。ほんで孫はそこの息子のとこへ10日間預けました。私はもう名古屋へ10日間行きました。

娘の葬式
764 葬式
769 死者崇拝

お葬式は1月28日に尼崎でしました。やっと尼崎で。こちらの西宮の焼き場がだめでしたでしょ。10日位葬儀業者さんに預けてね、それで尼崎まで行きました。それもね、車1台分4名しか乗っていかれなんだんです。ほいで私と長女と孫と息子の運転で、その時4人だけで行きました。そして、お骨にして持って帰りました。それから、2月5日まで息子がお骨持って芦屋へ行ってました。私また名古屋か岐阜にいますのでね。あの、あっち行ったりこっち行ったりしておりまして、そして2月5日にまたこの地でお葬式しました。

息子が保険会社に勤めてましてね。その取り引きの関係のひとで、お花屋さんがあってね、黒バラ100本くださってね。100本。それがまあきれいな。娘はバラが好きでしたん。それでね、私んとこのある花瓶を皆持ってきてまだ足りないんで、2つか3つ借りて、全部棺の横にずーっとならべました。そんなにしてあったの私んとこだけでした。そしてね、娘はバドミントンやってましたので、バドミントンの人とか。子供診療所行ってましたのでね、診療所の子やその子たちのお母さんやとか、友達かなんかのお花がまた棺の上にのってました。それでねバラなんか入るもんやないんですけどね。でもね、好きやから入れてやろういうて、花で埋めてやりました。

このお葬式は、全部私がしました。ほんでお義父さんの里が網干なんですねん。そこで葬式またして下さいました。嫁として。ほいで私が法事したらまた向こうでも法事して下さいましたけどね。でも私は家でもう20何年も一緒におりましたからね。私んとこでちゃんとおまつりしてます。

−尼崎のほうでお葬式なさるまでに、市から何かこうしなさいとか指示があったんですか。

私の方は名古屋に行ってましたから、全然わかりません。尼崎でするというのも息子が聞いたんかも知れませんけど、私は後から尼崎であるのよとだけ聞いてね、フンフン当日か前日の日にかなあ、あの息子のところに来たぐらいですからね。

4.亡くなった娘のこと
159 個人のライフ・ヒストリーに関する資料
娘は結婚してKになったんです。あの子も運が悪い子で、1年ぐらい一緒におりましたが、主人が出張でアフリカへ行って、それから1年半か2年足らんうちに向こうで自動車事故で亡くなりました。亡くなって1年たって私が引き取りました。私もちょうど主人亡くしてますしね。ほんでまだ息子と2人でしたので、2人を引き取りました。

娘は、健康でバドミントンの選手しておりましたね。バドミントン1週間に3べんも4べんも行きましたよ。竹の子クラブとかなんかと言うて、2つ出来て西宮かどっかね。帰りは竹の子クラブのみんなはね、昼食するんですって。神戸屋っていうパン屋さんで1500円出したらパンが食べたいほうだい食べれる言うてね、いつも行ってましたよ。それ食べて帰るのが楽しみじゃ言うてね。お友達同士で好きな事してました。海外旅行にも行ってました。自分は未亡人だけどこんなに海外旅行行っていると、みんなにへんに思われる言うてね、だまって行くって言ってました。お友達の方がね、その人は独身でしたがね、もういつでも家の子が行くって言ったら、そのお友達の子も向こうの汽車の予定や、飛行機の予定やら全部スケジュールを考えるのが好きでしたよ。みんなお葬式済んでから私にね「もう旅行も出来へんわ」言うておるんですよ。自分らで組んではよう行かん言うてね。あの子が全部してくれたから、お金さえ出せば行けた言うてね。

前の晩は自治会の餅つきに行ってましたよ。自動ハミガキとハーブの入った入れ物と景品2つ当たったわ言うて。あんためずらしいねえ言うてね。帰って来て、ブラウスにアイロンかけるいうてね。アイロンかけよったら、頭イタイ言うてね。あの子すぐ頭イタクなるんです。お風呂入ったらすぐ治るんで、あんたそのアイロンもうやめて、風呂に入って寝なさい言うてね。いや、これだけはしとかんと明日いるから言うて、アイロンして、えもんに掛けて2階へ行きました。そしてそうなりました。出してもらう時、そのブラウスが衣紋かけにかけたなりに出てきました。もうびっくりしました。ブラウスでしたよ。あれだけはどうもなかったですね。

ちょうど4畳半の中心に寝てたんですよ。上から梁がお腹の上に落ちたんですからね。思いようによりましたらね、一週間も十日も痛い言うて苦しむんだったらね、そうやって死ぬんだったら即死の方が良かったですよ。あきらめようですね。それでもカタワでも生きとって欲しいですよ。だけど死んだのはしょうがないからね。まあ、私んとこだけと違いますからね。私もあきらめがつきますわ。

523 趣味
娘も私もお習字を教えてました。娘は仁川の方で準師範やってまして、そして私は甥とといっしょに教えてました。お習字の教室は今もやってます。甥は以前教えてましたが、定年退職になって自分の位も上になりましてね、今迄教えた人(生徒)がどこへもいかんと先生教えて下さい言うて待ってはったんです。甥に家へ来てやるかって言うたら、やらしてもらいます言うてきて、火・水と教えてます。私しゃ、助手ですけどね。私は水・土と教えてます。ほんとにこれはお友達としておしゃべりして楽しくやってます。

781 宗教体験
それとわたしゃあね、宗教の方に入っているんですよ。真如苑にね。それで助かってます。もうねえ、そういう人がいっぱいでね、なぐさめて下さるしね、自分も一生懸命やってますわね。それで救われてますね。

5.家の解体と再建
152 動因と情動
331 建設
425 財産の所得と放棄
737 老人保護

家の解体は早かったです。と言うのはね、裏の病院の方へ応接間が傾いて、もしかして余震でむこうへ迷惑かかったらいかんから、息子が大阪の業者の人を頼んできてこわしてもらいました。その時は高かったですけどね。93万でね。また業者(K社)がこられてね、同じ業者ですんで息子にね、「どうせあんたとここわすんだったら3万円ほどまけとく」言うてね、90万にするからこわしなさいって言われたらしいんです。私は住めるんじゃけどねと思うたんじゃがね、息子が改修してもきたない言うてね、同じ位お金はかかるからいっそのこと、こわした方がええんちゃうか言ってね。ほんじゃあんたのええようにしなさいいうてね。私は自分では何もできないから、もう息子にまかせました。3日間でこわしてしもうて。私名古屋におりましたらね、3日前にこわすからおいで言うて、あわてて飛んで来ました。どれもってていいか分かりゃしませんし、もうどうでもいい、何にもいらんと思いましたよ。あの時は本当にいらんと思いましたよ。良くも何もない。今なってからあれもこれも欲しかったいうて、これも全部買わにゃならんからね。そう思いますけどね、あの時は本当になんにもいらんと思いました。

解体車がどうしはったか見てません。1日だけは孫が見てましたよ。アメリカへ留学してましたんで、賞状や写真なんか記念になる物を取りたいから、1日目だけは私の物を出して下さい言うて。私はもう何もいらんから娘の物だけ出してやって下さい言うてね、ある程度出してもらいました。最初に壊した時、わたしゃあいましたよ。涙が出ましたよ。次の日はよう見てませんでした。すぐに名古屋に帰りましたよ。もうどうになろうと。ほんとうにもうどうなったか・・・。座布団なんかようけあったのにねえ、箱入りにしてあったのにね、あれどうもなってねんやろうと思ってね。もったいないけど、しようないからね。あの時は。娘のものは着物が少しありますけどね。洋服も皆にやってしもうてね。今朝もそっから写真出してたら、皆娘のとか、どっさり出してますのやわ。私が出したんやないけどねえ。嫁が出してくれたらしいけどね。やっぱり娘の記念持ってきて下さったんでしょう。写真はどっさり出てますけどね。書道のものはあんまり出してない。大体は2階の娘の部屋に置いてましたよ。娘かって展覧会に大きなのを書いて出してましたでしょうにね。だしてましたけど、いっこも出ません。とりあえず運べるものを芦屋の息子のとこへ運んで。

342 住宅
息子の家はシーサイドにあるんですよ。鉄筋の24階建ての19階だったのかな。ただ子供の教育上なんかあって貸してますんで、芦屋に借家借りてました。そこは屋根は軽いですし、本当に大きな桜の木が3本道側にありましてね、そのおかげかその1画が倒れてません。その隣の家は、みんな倒れてました。木植えてなかったし、瓦がやっぱりありました。重いから、本当にカワラの屋根はみんなやられましたね。それも新しい瓦は大丈夫ですよ。うちらみたいな古いカワラはダメですね。

487 経路
芦屋からここへ家を見に来るんでもね、バスやから不便でしたわ。夙川があんだけ通れないおかげでね。芦屋まで、ぐるっと回って行かなんでしょ。そりゃ不便でした。ほんで阪神が御影につきましたでしょ。やれやれと思いましたわ。

203 ニュースや情報の流布
737 老人保護

市役所などからのいろんな書類等は、はじめから届いてました。まあ、おらん時は届いてませんでね。私、芦屋の息子のとこへ行っとりますとか、名古屋やったら名古屋へおりますいう通知をすぐ出しましてね。そちら回して下さいました。

解体する時に市から援助をもらいますんですよ。私、どんだけもらったか知らん。息子がもらったんですよ。私はそう思っているもんで、聞きませんけど。

取り壊しの業者も、息子が全部しましたよ。お金も全部ね。全壊は20万ですかね。あれも息子がもらいましたよ。私はもうわずらわしいことはしないようにしてますから。

342 住宅
427 賃借と賃貸

今2軒の家を建てていますので、あそこが出来たら下に私が住むんですよ。やっぱり元の家に帰りたいですよ。ここを貸しますねん。2階が3部屋で、下に大きい部屋ひとつ。今度向こうの方が広いですよ。屋根瓦は普通のね、はやりのあれですからね、軽い屋根ですからね。

−再建費用については
427 賃借と賃貸
731 災害(義援金)

この家はあの子の生命保険が金額いただけましたのでね。半分しかもらえんかなあと思ったら全額わたします言うてくれはったし、国から500万円いただきましてね。それで現金で建てました。娘が孫にそんだけ残してくれたんですわ。火災保険は出ないですもんね。息子が火災保険の会社員ですけどね、ダメですね。震災の保険は入ってませんでね。向こうの家は、ローンで息子が借りました。

昨年の9月に建ちました。この辺ではYさんと2番目位ですかねえ。今もうだいぶん建ちましたけどね。

ここは貸し家ですからね。全壊したかてね、中にいた人が20万もらうんです。大家はダメで、借家人にもらえるんです。私もここの方にね、知らなかったからね、もらえるんだからもらいなさい言うてね、電話したら喜んでましたよ。あの時は私矛盾していると思ったんですよ。私の家が壊れたのにね。中に入った人はそのまま荷物を持ってさっと出て行ってね。この人はちゃんと三田に家を建ててはったんですよ。なんか昔からね、私とこ借りている人はみんな家を建てて出て行ってですよ。ほんでね、最後の人も三田に家を建ててね、先に大きい荷物はもう運んではったと思うんですよ。ほいで息子さんと娘さんでね、車2台で小さいもん運んではりました。権利金はちゃんと2割いただいた後払いました。それはきっかりしとかんとね。向こうから請求しはらせんけど、請求される前に、私ちゃんと払いました。しょうがないですもんね。預かってるんですもんね。


6.仮設住宅と息子の家と
342 住宅
685 財産に対する犯罪
737 老人保護
[引越し]

仮設住宅は2度目に当たりまして、名塩のほうに行きました。息子の車で芦屋に置いてある荷物を2〜3回運びました。その車も普通の乗用車じゃダメでしょう。ワゴンを買いまして、それで運んでくれました。ここ(高松町の自宅)は空き地でしたから、ここにも荷物を置きましたが、だいぶんとられましたよ。家財も盗られましたが、こんなハシゴやね電球のあれなんか盗られましたよ。あらかた良さそうな物はありやしません。長いホウキのような、まだ2〜3べんしか使ってないような、そんな悪いようなのとったってね。だけども誰が持っていったか分からんし、もうかましませんわと思ってね。お互いいるんやろうからと思いましてね。

324 住宅
361 集落形態
362 住宅事情

名塩の仮設に2日か3日泊まりましたわ。私が一番初めで5月か4月、あそこ行って下さい言われたからハイ言うて荷物持って行ったんですよ。けど、私1人やった。10軒長屋にほんま1人でした。私の筋には1軒。それと筋向かいの方にはご夫婦の方がいらっしゃいました。それから私の列から100軒もっとあったでしょうか。東口におの腹の大きな奥さんとご主人と2人で住んでおられました。その3組だけは知っていたんです。後、いらっしゃったんでしょうけど、ちょっと遠くやったら分からんのです。ほんで息子が「こんなとこにおったらあかんで帰れ」言うて、また息子のところに帰りました。不用心だし、やっぱ私1人でしょう。だから心配になるんですよ。電話もありませんし、電話も引くつもりもありゃしませんでした。電話機はあるんですよ、でも引く気ないしね。クーラーも他の人はつけたけど、私はつけなかった。もうじき家が建つし、息子のところにおるつもりでしたし。たまに日曜日にまた息子と車にのっていって、窓開けたり、お掃除したり、整理したりしてまして3日泊まりましたよ。でも山の上にあがるに私が車引いて半時間かかりますんですよ。息子と車で行ってもね、芦屋から1時間かかりましたよ。だから仮設には荷物だけ置いて、物置にさせていただきました。息子のところに置けんことはなかったんですけどね。

593 家族関係
嫁はね、子供たち2人とすぐニュージーランドに行きましたね。お互いにいい機会やからね。嫁かて私がおらなんだら旅行が出来しませんからね。3カ月という予定で行きましたんですけど、なんか向こうでだまされたとか言うて、3週間でちょっと帰ってきましたけど。それから私がおらんと色々ここらへんの家のこととか、娘のお金のことやとか色々不便やからね。電話やらしてたら電話料もかかるしねえ。それで私が孫2人と息子の世話をしました。お互いによろしかったようで。

342 住宅
343 付属建築物
362 住宅事情
887 老人の行動

仮設住宅はなんかね、ちょっとでもさわったら壁がカンカンってブリキみたいな音がするんですよ。ちょっと上向くと隙間が空いてますでしょう。そうゆうとこから何か出てこうへんやろかと思ってね。それから、炊事場があってその向こうがお風呂場になっているんですけどね、そこに段差があるんです。それが老人向けじゃないですね。私の家は全然段差がないですからね、あぶないですよ。ほいで炊事場から部屋に入るんでもちょっと段差があって。おばあちゃんあぶないゆうて。

それに棚がありますけど、上の方にあってね。椅子かなにか持って行って出さにゃあいけやしませんよ。だから一度も使ってませんよ。もうちょっと下で持つとこでも引くとこでもあればねえ。そんなんない。どうゆうつもりで、誰の考えでやったのかねえ。玄関上がるんでもね、1つブロックおいて、のってじゃないとのられません。 洗濯用のブロックでしょうか。ちゃんと2つか3つおいてありましたからね、私はそれにのって上がりました。裏にもおいてますんですよ。じゃないと、裏に出ようと思ったらドスンっておりにゃあ、高いんですもの。あの設計はおかしいですわ。夏の間はやっぱ暑いねえ。私は暑い時にゃあ、網戸を開けてね。夜景はきれいですよ。上の方やからね。

361 集落の形態
でも私らでも出る時はね、だいぶ入ってはりました。9月の19日にきたんかな。私の隣と隣が2つ位あいていいるぐらいでね。みんな入ってはったから。もうねえ、あの時はね、抽選はなしで入りたい人は入って下さい、言われたんですって。3期ですかね。

−あの仮設住宅の中でおつき合いみたいなのはあったんですか。
621 コミュニティの構造
私は隣の人とね、ちょっと声かけたりちょっと向こうの人がね、水がたまるからね、石を運んではったのをね、見ていたりね。ちょっとお話はしましたけどね、その方長瀬じゃと云うとられました。そこであった人は割りに震災に、災害に合った人ばかりでしょう。だから話しやすいですねえ。やっぱりね。共通点がありますもんね。でもだいたいがお年寄りと言うか、中年以上の人が多いですね。私があそこらへんで知っている人は、その新婚さん2人だけでね。市営住宅が出来たら出ます言うとったから、今年の10月かな、赤ちゃん生んでこっちに来る言ってましたけどね、お電話はしませんけどね。


7.お風呂の工夫
375 火力(ガスの供給)
511 生活水準
515 個人の衛生

私は食べるものとかお風呂とかには不自由しませんでしたよ。おかげで芦屋におった時に1度か2度、車でお風呂屋に連れていってもらったことがあります。息子に、ちょっとめずらしいから1ぺん行こうか言うてね。それまではガスが出ないからカセットコンロありますでしょう。あれ3つ買うて来て、お湯沸かして、熱湯になったのをお風呂いれて、そしてお風呂入れよりました。そやからあんまりきれいじゃないけどね、まあ親子やからね。銭湯に行ってもね、そりゃイモの子みたいなもんですよ。いっぱいですもん。汚いとかどうとか思っていたら入れませんよ。でね、車で行かんと銭湯つぶれてしまって行くとこないしね。芦屋の方はないしね。尼崎の方へ行きましたよ。
ガスがなかなか出ない時のカセットコンロ、あんなん安く買えたらいいですよね。皆さん備えておくべきですね。私も息子も1台持って来ていうてもらってます。


8.孫のこと
孫は、JTBに勤めてます。その時は神戸の長田に勤めてましてん。会社もみんな焼けたらしいんですけどね。ほんであの子はずっと休んでまして、そして千里へ今勤めてます。だけど、今ここには住んでいません。

769 死者崇拝
というのはね、あの子お仏壇を持ってたんです。1月に娘でしょ。ほしたら8月におばあさんが亡くなり、おじいさんは4年ほど前に亡くなってますし、お父さんはもう結婚してすぐでしょう。4人亡くなってますんで、もうK家が孫1人になったんです。それで私もちゃんと主人のあれがありますので、もうお仏壇をここへ持ってくることはできません。1軒の家に2つはね。ほれで一緒に住まれしませんねんから、あの子は今ハイツへね持って行ってます。かわいそやけどね。初めは西田辺に住んでましたけど、そこの部屋が暗いし小さいからいやや言うて。いまは神崎川にね、ちょっと広い明るい部屋に移ってきました。こっからでしたら半時間もあったら来れますけどね。ちょっとお寂しいけど、もうだいぶ慣れましたわね。2年近くですからね。

603祖父母と孫の関係
会社へは3月か4月からでしたかな、復帰しましたからね。もうね、私あのだいたい10時になったら電話しますねん。心配ですもん。向こうからはね、めったにかかってきませんけど。「あ、おばあちゃんか」言うて、ほんで、後は留守電ですわ。早やかけたら、留守電やからね。10時すぎやったら、私10時すぎまで起きてないでしょ。10時頃にかけても留守電がようあるんですよ。あそこの会社なかなか忙しいらしいんですねん


9.近所付き合いの大切さ
621コミュニティの構造
ここの2〜3軒向こう行った家でね、Hさんっていうとこの21のお嬢さんがわからなかって。普段はそこには住んではらへんかったんですよ。たまに娘さんが来てね、ちょっと遅うなると泊まっておられて、私なんかはどんな娘さんかわかりませんよね。娘さんだけでね、つき合いあらしませんもんね。お母さん方どこにいるか知りませんね。近所の人かて住んでいるかどうか知りはらせんもんね。そのお嬢ちゃんはね、スキーかなんかに行ってここが近いから泊まっておられてね、近所の方知りはらせんで、あんまり交際がないでしょう。それでね、近所の方「いはらへんでしょう」いうてね、見てないから。ほしたら、お母さんから家の娘から何の連絡もないから、見てもらえませんかいうてね、ほんで見たら亡くなっていたんですよ。かわいそうに。翌日でしたかね、やっと出されましたけど、もうダメでしたがね。

娘の場合は早く出してもらって良かったと思いますよ。ちゃんとね、心臓マッサージって言うんですか、あれをして下さったんですよ。高松町は昔からの知り合いばかりですからね。そうゆう点、皆さん親切にして下さいましたね。たとえば家に帰った時には、ちゃんと布団もね敷いてありました。たしかN産婦人科から持って来てくれはったんと思いますわ。それに寝さしてもらったんですけどね。ま、それもちょっとお礼はしましたけどね。こういう時はよけいね、近所づきあいというのは大事やて思いますよ。

私、昭和17年から住んでいます。結婚してからずっと。前の家に。もう地震まで。ここらあたりで一番古いのは、一番向こうのTさん。その次が私です。みんな顔を知っていますので、何か異変があったと言ったら、みなさん飛んで来て下さいましたよ。お陰さんで。


10.災害への備え
271 水と渇き
312 水の供給
514 排泄
[言い伝え]
[習慣]

私は神経質ですからね、お風呂毎日してもお風呂はいつでも置いてね、次の日しか抜かないんですねん。いまでも置いてますけどね。ほして夜寝る前には洗い桶にいっぱいと、やかんにいっぱいは飲む水を置いてますねん。そいでね、お水には、私がここにおるうちは不自由しませんでした。おトイレの水やなんか全部お風呂場から持ってきましてね。お風呂場にも2はいのバケツにいっぱい水を入れてあります。

うち、田舎でも母がようやってましたから。私の田舎は岐阜ですけどね。前が川ですからそんな心配はないんですけどね。母がねやっぱり地震があったりなんかした時は、飲み水はいつ井戸が出んようなるかわからんからやゆうて、かめにちゃんとこう、昔からためてましたからね。濃尾地震の時の教訓だと思いますけどね。おばあさんの時代から、私んとこは水はためてたらしいですわ。せやから私もいまでもずっとためてます。これは役に立ちました。みなさんお手洗いの水をね不便なさったんでしょ。私はお風呂場の水で間に合いました。私あそこに3日しかいなかったから大丈夫だったですけれども。

207 ラジオとテレビ
416 その他の機器
713 災害(防災用具の準備)

電気は早よついたんですけどね。でも普段はテレビばかりでラジオなんか使いやしませんからね。かたづけてしまってる。その時はラジオなんて聞いてませんけど、あの懐中電灯にラジオのついたのありますよね。あれ貸してくださった。あれが私良かったですよ。あれは私絶対にいいと思いましてね、娘の1回忌の1月17日の法事しました時にね、ちゃんとラジオ付きのあれを皆さんに配りましたよ。

救急用具セットとか、防災セットとかは作ってませんでした。防災用に持って出るものなんか、いざとなったらなんにも持ち出せませんよ。私なんか、枕元にメガネは置いとく、時計は置いとく、ハンドバックは置いてね。ほんで、いざとなったら持って出れるように大事なものちゃんと入れてましたけどね。いままで何にも持ちません。もうそして外へ出たって、中のことなんか全然覚えてません。まあ、助かったというだけのもんで。私ゃ、娘が亡くなったからよけいね、そんな気は起きませんしね。いざとなった時にねえ、救急道具や何や持って出れるもんと違うと思いますわ。

結構防災には気をつけてはいたんですけどね。あの時でしたら、ドーンでしょう。つき上げてそれからユサユサですもん。もうそりゃびっくりします。普通みなさんなんかね、すぐにふとん被ったとかなんかおっしゃったけどね、私はそんなことよりも先起きました。パーッと飛び起きました。びっくりして。そして、さあ出て行こう思って歩いて倒れたんですよ。

342 住宅
352 家具
353 室内装飾と配置
513 睡眠

屋根瓦は軽うないとダメです。スレートぶきっていうんですかね。今はみんなあれですからね。あと古い型のタンスは置かれんのですわ。私らみたいに倒れて使い物にならんし、息子のとこも持っていかれせんから1本だけにしましたけど。半壊ぐらいの家でしたらね、そのままおいてらっしゃいますけどね。そりゃもう昔自分が使ったものはほかれないんじゃないですか。だから壁に取り付けるとかね。まあ余裕ないかもわかりませんがね、一部屋にタンスとかは置くようにしてね、寝室は何にもないところで休みはった方がいいんじゃないですか。それとね、タンスを低くしたい。

あと、部屋の真ん中で寝ることは確かにいいですね。どこでもそうですが、掛け軸や額やら掛けてますでしょう。あれでも釘打ちしとかんとダメですね。落ちてきますもんね。寝る頭の向きも考えにゃあいけませんねえ。

−あとこんな事もしておけば良かったなあというようなことありますか。
454 貯蓄と投資
そうですね、私の不注意でね、大事なものをほかしてしもうたからね。息子が金庫から私の大事な書類入れを置いといたんですわ。それを私ゴミや思うてほかしてしもうたんですよ。ひっくり返って置いてたもんでゴミや思うてね。あの頃なんでも、そこらにあるものはゴミや思うて何でも黒い袋に入れとらんと、整理が出来ませんでしょう。大事なもんや思うて捜しても、ありゃしませんよ。有価証券なんかはちゃんと銀行の金庫に預けてましたけどね。貯金通帳とかハンとか現金とかね、ちょっとしたものを家の金庫に入れておりましたので。またその再発行の手続きに大変でした。銀行の通帳やら簡易保険やらね。私と娘の両方せんにゃならんからもう難儀でした。

11.お金について
494 道路輸送
497 鉄道輸送

私はね、交通費ばっかり使いましたよ。食べるものはね、娘とこでも息子とこでも食べさせてもらえるけど、あっち行ったりこっち行ったりしましたから、交通費が大変でしたよ。ただ交通費は工面しませんでしたよ。どうしたんでしょうね。私が少しだけ持ってたんでしょうね、覚えてないですよ。まだ通帳があらしませんもん銀行から出してません。

まあ、あの時お葬式もちゃんとしましたしね。仏預かってもらうのに13万かかりましたよ。そりゃあね中にドライアイスをちゃんとして下さいましたでしょうからね。水もかえて下さったんでしょう。


12.電話のこと
206 電話と電信
521 会話

このあたりでは、Oさんのお宅に1台だけ電話通じてましてね。これで私んとこはね、その日だけは頼んで、田舎とか親戚・兄弟から電話くるとみんなそっちで受けてもらって、だしてもらってたんです。後はね、私かけるのに、お金いるから気の毒しますやろ。だから公衆電話へきましたけど行列ですねん。こういう時に携帯電話があったらなと思いました。今も持っていませんけど。

娘が死んだこと電話でちゃんと私が伝えました。これが最初かけた人から広がりますねん。これ全部親戚でも同じ、お友達にも広がりますねん。控えを孫に持たせてね、こことここへ電話かけなさいっていってかけさせました。息子はその時ね、旅行でヨーロッパへ行ってましてん。ほんですぐ嫁が呼び出して、もう次の日には来ましたけど。

私なんか一人やから退屈でしょ。ほんなら兄弟やら親戚やら電話ようかけますから、電話料だけは高いんですよ。友達なんかにもねえ、今度あの人、今度あの人っていう風にね、電話かけてます。


13.情報が伝わらない
204 出版物(広報)
426 借用と貸与(融資)
746 公的補助
657 公共福祉

先だってテレビやったか市政ニュースでしたかな。800万円融資っていったけど、どういう人が借りれるのかわからないから、まだ私も何もしてませんけどね。Yさんとこは350万円無償で借りてるのよとか。私んとこはね、ちょっと遅かったからだめでした。10月でしたかな、言いましたらね、今やってません言われて。

203 ニュースや情報の流布
207 ラジオとテレビ
337 電気工事

西宮のニュースってのがきてますけど、それ載ってたかな・・・、覚えてない。この間テレビでちょっとそのような事をゆうてたような気がしますねんけど。やっぱり情報知るにはテレビの方がよう見ますしね。

私んとこアンテナが立ってないから、今だめなんですねん。室内アンテナ、息子が買って来てくれてね。それでやってます。ほんで、シャーっと影が出たりね、ま、映りゃしません。そんで、屋根がこんなんでしょう。ほんであがってもらうのも怖いわって電気屋さん言うてはったからね。

私んとこでもね、西宮で無料で壊して頂けるいうようなこと、知りませんでしてん。知らんもんで、どっさりお金使ってねえ。息子、芦屋でしょ。芦屋から西宮の事、全然わかりゃしません。私はまた名古屋行ってるでしょ。ほいで、名古屋、岐阜、芦屋、あっち行ったりこっち行ったりしましたので、全然知りませんでした。西宮ニュースが入らないから。

ま、向こうのお金は息子が出したけど、ここのお金が私が出しましたからね。ええ、しんどいですよ。「調べられたら、調べられたのに、調べなかったから悪いんだ」と言われてもね、納得できないわねえ。そりゃ、今度のことはしゃあないわね。もう、後のことやからもういいわ。何でもあきらめるよりしゃあないですわ、ねえ。


14.おわりに
159 個人のライフ・ヒストリーに関する資料
いい年齢になってからねえ。まあ私はこの地震以外の、空襲では全然被害ないんですよ。ここらへんはなんともなかったですよ。ちょっと向こうに行くと焼けてますけどね。私とこもあの田舎へね、岐阜ですが疎開しました。田舎ですからね、お米やなんかも全然不自由はしませんでした。みんな、「ああ、飛行機が飛んでるわ」言うて見てました。私とこは岐阜から9里程中に入ったとこですけどね、岐阜がやられた時はね、家から見えましたもんね。焼夷弾が落ちるのがね、「落ちてる、落ちてる」言うて見てました。それが今度は地震にね、77にもなってからいやんなりますねえ。こうゆう運命なんですわ。


 

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