Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

4年前の阪神・淡路大震災の体験
相馬 和枝 (神戸市立本山南中学校)

 平成7年1月17日。5時46分頃、ドドーンという音と共に、大きな横揺れが起きました。お父さんに起こされ周りを見ると、お父さんは、タンスを両手で支えて弟を守り、母は私の上におおいかぶさっていました。良く見ると、母の体の上には、タンスが倒れてウンウンとうなりながら、私に早く逃げる様に言っていました。お兄ちゃんは、幸いにして何も荷物が無い所にいたので、無事にケガもせずに済みました。私を助けて来れた母は、胸の骨を折りながらも家族全員で痛みをこらえて、必死に本山南小学校へ避難しました。周りはガラスが臭い。2階の家が1階になっていたり、ケガをした人達や亡くなった人も大勢いました。お父さんは、おじいちゃんの家に行く途中、あっちこっちの家が、バラバラに崩れていて、助けを求めていた人もいたとの事でした。おじいちゃんの家は無事でしたが、私の家に、泊まりに来ていた正夫おじさんも、頭にケガをし、胸のあばら骨を折っていました。町は逃げまどい、電気や水も出なくて、洗濯はプールの水を使い、飲み水は自衛隊の人達が運んで来てくれました。最初は1個のオニギリを5人で少しずつ食べました。何日かしてから、ボランティアの人達が来て、食べ物を作ってくれたり、衣服等も配って下さったので、皆さん、大助かりでした。私と兄と弟はボランティアに参加して、お手伝いをしました。父と母は、はん長をして、色々な相談に乗ったり、食べ物を運んだりと大忙しの毎日でした。特にトイレ掃除が大変でした。私の家は、全壊して、東加古川の仮設へ移り住む事になりました。仲々慣れませんでしたが、ボランティアの人や、色々な人達とめぐり会い、ラジオ体操や、色々な催し等にも参加しながら、交流を深めました。東加古川は自然が沢山有り、周りは田や畑、仮設の近くには駅や飲食店、スーパーも有りとっても便利な所でした。春には田植え、秋には稲刈り、仮設の人も野菜を夏休みには、ザリガニやヤゴを取ったり、イチヂクを取ったりと色々楽しむ事が出来ましたが、神戸に帰る日が決まり、元の第1住宅に戻って見ると余りの自然の少なさにびっくりしました。仮設に残っている人の事を思うと心苦しいですが、いざ帰って見ると、東加古川の事を思い出したりする事も有りました。今では落ち着きを取り戻しました。震災の時の見知らぬ人との出会いや交流は一生、忘れる事は無いと思います。もう2度とあの時の様な震災やまた、恐い体験はしたく無いと思いますが、全国各地で震災や水害に会った人達のテレビを見る度に、思い出し、人事の様に思えず、テレビを見入っています。震災で家が全壊した人、又は、水害で家を流された人達、どうぞ1日も早く復興することを祈っています。

Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター