Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

1月17日の悲劇
島田 信幸 (神戸市立本山南中学校)

「ガタガタ。」
 ぼくは、この音で目を覚ました。「なんだ。また地震か。早くおさまってくれないかな。」と、いつもいままでと同じ地震だと思っていたのに、今回は、まったく別だった。「ドスン」何かが倒れる音がした。
「もしかすると・・・。」
ぼくは、少し前に、北海道で地震があったニュースをたまたま見ていて、地面が割れているのを見た。ぼくは、その時「へぇ、地震ってこわいんだぁ。」と感じたばかりでした。「グラグラ。」
だんだん家がゆれてきた。外では犬がほえている。本だなが倒れ、ガラスが割れ、当時小3であったぼくでも、「あっ、えらいことになるぞ。」と感じたぐらいですから、大人の人ならどうでしょうか。もっと大変なことになるということを感じたんだと思います。
 だんだんとゆれがすごくなってきました。これは、言葉にも表現できないくらいすごい音でした。ぼくは、当時小5の姉と言い合いました。
「お姉ちゃんこわいね。」
「ほんまにこわいね。」
「ぼくらこのまま死んじゃうのかな。」
「ほんまやな。死んでまうかもしれへんな。」
 地震がやみ、ほっとする間もなく、2回目がきました。
「あ、またきた。」
今度の地震は、1回目とは、ちがって、もっとゆれがはげしくなってくる。
「もう終わりだ。死んじゃう。」
と思った時ゆれがおさまった。
 生きていてよかったと思いながら周りをみると、家の中がぐちゃぐちゃになっていた。
 外に出てみるとすごい人数の人達が道に立っていた。周りの家は、つぶれいたりしていたのに僕の家は、何もなかった。すごくラッキーだった。しかし、全かいしたところなどでは、生き埋めになった人達の救出作業をしているところも見た。
 いろいろ見てきたけど一番つらかったのが死体だった。そのほかにぼくは、いろいろなことを避難したところで言われつづけた。
 最後にぼくが地震で感じたことは、「地震で失うものは、いっぱいあったけれど得たものは、あったのかな。」
ぼくは、それが、未だわかりません。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター