Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

阪神・淡路大震災
堤 優花 (明石市立朝霧小学校)

 私がまだ5才のころ、家族みんなで夕食を食べていました。するとグラグラと小さなゆれがきた。しん度1だ。なにもなかったように時間がすぎた。するとおかあさんが「これはもうすぐ大きなじしんがくるよこくかもしれないよ。」と、言った。
 その夜、私はベットに入ったいつも通りに。おにいちゃんも上のベットでねている。でも今日はなんだかちがう。なぜだろう。し〜んとしていて夜風がつめたいし・・・。
 私はこの日はめずらしくすごくこわいゆめを見ていた。うなされているようだ。「はっ。」とつぜん目がさめたら体中あせびっしょり。
 こわかった。暗くて回りがよく見えない。私は1人では心ぼそくておとうさんとおかあさんがねている部屋へいくことにした。「でも部屋まで行くにはろうかをわたらなければならない。」私はいっせーのーでっで、くらいろうかをわたった。おとうさんとおかあさんのすがたがみえてやっとほっとした。
 おかあさんのふとんにもぐりこんだ。また、し〜んとしてきた。
 その時、ガッチャーンバリバリガタガターすごい音だ。なにごとかと思えば家がグラグラ強くゆれている。その時私はどうしようかと思った。ゆめよりこわいげんじつだから。「優花!うごいちゃだめよあぶないから。」
 おとうさんとおかあさんが起きた。しょっきだなや本、ガラス、金物。色々な物がくずれおちるのをはっきりとこの目で見た。
 ようやくじしんが止まった。でもなにかわすれているよう気がした。「そうだ!おにいちゃんが子ども部屋にとりのこされている。」私は思い出した。おとうさんがそのことに気がついた。「のぶ!じっとしてろよ。今、たすけに行くからな!。」おとうさんがもどってきた時のおにいちゃんはガタガタふるえていた。
 そのあと子ども部屋を見てみるとなんだかうちじゃないようにあれていた。テレビはたおれ、つくえの上の物はおち、ガラスの電気がおちていた。
 おにいちゃんはたすかったが、じしんがおきた時こわかっただろうな。暗い所で・・・。
 ニュースでもひがいをたくさんの人がうけたと聞いた。じしんがおきてから何日間も、「阪神・大震災」のテレビばかりだった。全国で家がやけくずれ、何千人もの人がなくなったそうだ。もちろん明石でも何人か・・・。でも私はきせきてきにたすかったと言える。なぜかと言うとこわいゆめを見ていなくてあのままべっとでねていたら電気が私の上におちてきてテレビの下じきななって死んでいたかもしれない。あまり物のないおとうさんとおかあさんがいる部屋に行っていて本当によかったな。と思った。たしかに阪神淡路大震災を体験したということをしょうめいする。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター