Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

私の証言
藪越 慶子 (神戸市立本山南中学校)

 寒い日でした。まだ、神戸の町が眠りについていたころ、あの震災は起こりました。私はまだ、小学校4年生で、夢の中でした。ぼんやりとした意識の中で、「ゆれ」とも呼べない、かすかな、かすかな振動を感じたその時、あっと思う間もなく、私は部屋ごと、いえ、地面ごと振り回されていました。それが地震であることも、夢なのか現実なのかも分かりませんでした。ただとっさにいつもまくらもとに置いていたぬいぐるみをだきしめてふとんにもぐることしか、頭には浮かばなかったんです。こわかった。その一言に尽きます。心臓を冷たい手でぎゅっとつかまれたように、体が動きませんでした。ゆれがおさまった時も、私は、目を開けられませんでした。自分が無意識に、目をかたく閉じてしまっていることすら分からず、自分が作りだした闇の中で、ひたすら恐怖から逃げていました。目を開けて、何がどうなったのか知りたい、心ではそう思っているのに、体はひきつったように動いてくれませんでした。失明したんだろうかと、バカな事を考え始めた時、だきしめていたぬいぐるみ、テディベアのやわらかな手ざわりが伝わってきました。すっと、心のカギがはずれたかのように、何かが軽くなった気がして、私は目を開けました。
 その後、私の家族は、近くに住んでいる祖父と祖母の家へ行き、しばらくして、私は奈良の母の友人の所へ疎開しました。全然さみしくなかったと言えばウソになりますが、もともとホームシックなど無縁な子だったし、何より、学校が恋しくてなりませんでした。なぜこんなに学校に行きたかったのかは、私にも分かりません。でも、友達と笑いあえる喜び、誰かそばにいてくれることの大切さ、心強さを、私は知ったような気がします。
 私の証言というか震災の記憶は断片的なものばかりです。止まった時計、川のようになった道路、ガスもれのにおい、火花を散らしながらたれさがった電線、粘土細工のようにつぶれた家、地面に走ったひび、そして、どろりと赤黒く、地面に流れた血・・・数えあげればきりがありませんが、心をえぐるような光景でした。でも、私には友達がいます。奈良で、神戸で、その他行く先々で、人の出会いは待っています。まだ神戸は立ちなおっていない、よくそんな言葉を聞きます。確かに、心の傷を抱えている人は、たくさんいるでしょう。でも、心の傷は、心の痛みは、みんなで分け合うことができます。私は胸を張って言いたいのです・・・WE LOVE KOBE・・・と。ここは、私達の町、神戸なのだ、と。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター