Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

証言
神戸 美砂 (神戸市立本山南中学校)

 1月17日、阪神・淡路大震災がありました。私は前の日に、40℃の熱を出していました。夜、ゴトッ。と音がしたので私は、小さい地震かと思い、またふとんを、かぶりました。その時、ゴトッゴトッ、ゴゴゴ・・・ゴオォンッと音がしました。それとほぼ、同時に大きな“ゆれ”がありました。私は、泣きながら両親を呼びました。でも“ゆれ”は、だんだん大きくなるばかり。私はベットの中で何か、つかむ物をさがしました。とりあえず、しきブトンをつかみました。洗たく機のようです。しばらくすると、だんだんゆれが、小さくなり、両親が
「みさーっ、せいやーっ。」
と呼んできたので、返事をすると、
「今行くー。」
と母の声、そのとき、ゴンッという音がしました。父が
「うっ」
と言っていましたが、母は、かまわずに台所に行き、ガスをとめました。そして、私たちの部屋に来て、私を、弟のベットにだっこしていき、母は、食器の山をこえて、ドアを開けようとしていました。でもドアは閉まったまま。そこで、母は、
「ふんっ」
と言って、ドアをけやぶりました。でもわたしは、みんなよりも、一番大切なメダカ30匹のほうが、気になり。
「ハヤさーん(メダカ30匹の名前)
と、とさけびながら、メダカのいる部屋に行こうとすると、ドアの前にタンスがあったので行けなくなりました。母は、メダカの事など気にせず、1人で外にでて、子供部屋の窓から、私たちを出しました。その時父は、タンスの下じきになっていて、母は、
「だれかー」
とさけんでいたけど私は、外がすごい火事だったので、ボーと見ていました。私と弟で前の父と、会社のホテルに行きました。長田から車で前の父が来てくれたのです。母と父は、公園で人を助けていたそうです。私がいたホテルも水不足で私と弟は、水くみ、父は会社です。3週間がたち、私たちはしんせきの所へ。4月になって私は、父や母のいる公園に行きました。父は、こっせつしていたそうです。メダカは、半分生きていたそうです。川にはなしたメダカは、今年だんだん多くなっています。7月には、うちにネコが来ました。震災でまよったらしいのです。名前は、チャンチャン君です。私と大の仲よしです。この子に会えたので、震災は少しよかったと思います。今の家には、チャンチャンと、2匹のネコがいます。私にとって震災とは、とてもいい体験?だったかな?


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター