Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

4年前の感謝の気持ち
田中 久美 (神戸市立本山南中学校)

 4年前、私は初めて地震・震災というものを知り、実際に経験した。怖かった。怖いというたった一言の言葉をいうだけでも、心臓がバクバク言い、このままひょっとしたら死んじゃうんじゃないかと思った。世間の人が気がるに言う、本当にジェットコースターに乗っている様に家が揺れた。いっぱい揺れて、家中の物、たんす、机、テレビなど数々の物が飛ぶ様にたおれた。停電して、どこを見ても明りなどなかった。進むべき方向の道といえば、誰か人の声のする場所しかなかった。その中、私たち家族4人は無事に外に出ることができた。でもそこは戦場の様にあれはてている所だった。木造の建て物、電柱、全てが横だおれになっていた。アスファルトの道も、ものすごく深い亀裂がはいっていて、道を歩くのも足元が恐くて、まともに歩けなかった。その中、母はあわてて外に出てきて上着がとれなかった私と姉のために、一旦家にもどりジャンパーを取って来てくれた。その時は恐さのあまり何とも思わなかったけど今思うと、全てのことに対してうれしくて、感謝をしている。同じマンションの人が玄関をひっしにたたいて助けに来てくれた事、家族の誰よりもさきに、一番年下の私を家から出してくれた事?。本当に感謝している。
 それから私と姉は小学校に避難した。その途中、私は泣きそうなくらいにしょっくな事を見てしまった。それは私の一番の友達の家が跡形もなくつぶれていた。信じられなかった。家から避難所まではだいたい5分もあればじゅうぶんに行けるのに、何10分、何時間もの長さに感じられた気がする。だって、もし友達にまんがいちの事がと考えれば、ものすごく不安になってしまった。でもその友達とは今もずっと仲良くしている。
 その日から3日後、私の家は避難所の学校の廊下で寝ていたので、食事もろくにできずに体の調子をくずしカゼをひき、熱を出してしまった。でもその日にたまたま避難所に医者が来てくれて、病気の人やケガをしている人の手当てをしてくれた。そこにはものすごい行列ができた。私もそこに並んだ。でも薬などはいっさいもらえず、ノドのはれが少しでもましになる様にイソジンをノドにメンボウでぬるだけだった。このまま避難所にいても寒いだけなので、私は家に帰って寝る事になった。寝るのは恐かったけどこの3日、ほんの数時間しか寝ていなかった私は寝ぶそくのせいであっさり寝てしまった。そこでしばらくして私が起きると、父や近所の人たちが私に少しでも栄養がつくように食べものを少しだけだけれどくれた。それからしばらくたった日、私は友達と毎朝配給を配ったりして自ら、ボランティアを手伝った。
 でも、地震という物はものすごく恐い物だが、そこからはいい経験を得たと思う。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター