Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

阪神大震災で体験したこと
梅実 美希 (神戸市立飛松中学校)

 私は、今だから言えることだけど、自分自身にとってこの出来事はあって良かったんではないかと思えるぐらい、貴重な体験をしました。もしこの震災がなければ、私は今ほど家族や友達がどんなに大切な存在かなんて考えてなかったと思います。でも、地震は本当に恐くて、これからの人生においても二度と経験できないぐらいの恐さでした。普段の生活からは地震なんてまったく縁がないものだと思っていたら、それを思い知らせるかのようにこの出来事はおこった。ドーンッという音と自分の体が宙に浮いたときに目が覚めました。何が何だか分からないまま外に出たら、まるでそこは地獄と言ってもいいほどの見たことのない世界でした。私は、一刻も早くここから逃げだしたいと思いました。生活に必要なガス・電気・水はすべてなくなって、3日後鳥取のいなかへ帰ることになってしまい、神戸の友達がすごく心配だったけれどそのときは本当にどうしようもなく神戸を離れました。あっという間に一週間が過ぎ、私は鳥取の小学校に仮入学することになりました。知らない人ばっかりで、そのうえ言葉使いが違う所なんて絶対に嫌だと思ってばかりでした。そんな気持ちで学校へ行くと、みんながのぞいて来て、恥かしくて下を向いたまま顔をあげれなく、不安でいっぱいでした。でも、教室に入ったんパンッと聞こえたのでびっくりして見ると、なんと黒板には私への歓迎の言葉がかかれてあって、クラッカーまでみんなが用意してくれていたのです。その瞬間私の不安な気持ちはどこかへふっとんで、ただうれしいだけでした。それだけでなく、休み時間にはみんなから話しかけてくれて、心配していた自分がバカらしくなりました。始めは気を遣ってくれているのかなと思ったけれど、話しているうちにすぐに打ちとけることができました。嫌な気持ちなんて、もうその日のうちに心の中からすっかり消えてしまっていました。学校にも慣れてきて親友と呼べるような友達もできました。私は、今までそんな風に人に親切にされたことがなかったから、うれしさは言葉で言い表せないぐらい大きかったです。鳥取のみんなが暖かく接してくれたから、一日も休まずに元気に学校へ通うことができたのだと思います。最後に、もう一つ考えさせられたことがあります。それは親の大切さです。友達にも恵まれて、これ以上楽しいことはないと思える学校生活だったけれど、その間ずっとお父さんお母さんと離れていました。普段はしょっ中うっとおしいとか思っても、いざとなるとすごくさみしくて、おじいちゃんやおばあちゃんにやつ当たりすることもありました。ご飯を食べていると勝手に涙が出てきて止まらなかったので、驚いたのを覚えています。その時に初めて、親がいるという事のありがたさが分かりました。いつも一緒にいたからそれが当たり前のようになっていたんだなあと深く実感することができました。とてもつらい震災だったけど、この震災がなければ人の優しさとかも分からなかったと思うし、今まで以上に大切にしたいと思いました。困った時に助けてもらった時のあのうれしかった気持ちを忘れずに、もし困った人がいれば自分から声をかけてあげるという思いやりを持って行動したいです。こんなにいろんな経験ができ、考えることが出来た震災は、私にとって生まれて初めての大きな出来事でした。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター