Memorial ConferenceIV君の証言 DRS
「君の証言」

あの大震災を体験して
山田 有紗 (神戸市立本山南中学校)

 私は、4年前にあの阪神・淡路大震災を体験しました。4年前、私は小学3年生でした。だから、小学3年生の思い出はどんな事よりも震災の事が私の心には強く焼きついているような気がします。
 地震がおこった時、私はマンションに住んでいました。そして私の部屋にはたくさんの重い家具が置いてあったので、本当なら下じきになっていてもおかしくはないのに、その時は運が良かったのか、私のまわりにはいろいろな物が積み上がっていたので、幸い私はケガ一つしないで、無傷で済みました。
 私は、この地震で生まれて初めて見るもおぞましい景色を見ました。家の中はもちろん外は昨日建っていた家がガレキの山になっていて、道路には血を流したまま横たわって毛布をかぶっている人がたくさんいましたし、道路そのものは波打っているような状態でした。その時は、私は地震という事は分かっていたけれど、心の隅では「学校に行かなくてもいいのかな」と思っていましたが、父や母には訊ねませんでした。
 そのあと、給水車が来たと近所の人から聞いたので、母と二人で近くの公園まで行きました。いつも通っていた道がガレキなどで埋められた姿を見ながら通るのはとても恐ろしかったです。
 この震災で私は、家族だけでなく近所の人とも協力する大切さを学びました。隣の人が頭をケガしていたので救急箱を持ってきて母が手当をした時に、隣の人の笑顔が私はとてもうれしかったです。また、祖父や祖母の家は1階がつぶれたけれど二人とも無事だと父から聞いて安心しました。その後、祖母たちと祖母の家に行った時に、知らない人がその人にとっても知らない人である私に、お湯を飲ませてくれました。その時、とても寒かった私は、体だけでなく、心も温まるような気がしました。
 それから三日後、私は兵庫県養父群の私のおばの夫の田舎に避難しました。向こうの人はとても親切に私たちをもてなしてくれました。それに、向こうで通った熊次小学校は、田舎の民宿から2?雪の中を歩き続けなければいけない所でした。その学校は全校約80人で、学年1クラス12人でした。女子9人、男子3人のクラスで私は受け入れてもらえるかとても不安でした。なにしろ転校なんて初めての事だったので、すごく緊張していました。でも、熊次小学校の3年生の人たちはとても優しく私に接してくれたので、あっというまに私はクラスの一員になる事ができました。先生もとても親切にしてくれました。
 私がこの地震を体験して学んだ事、それは、人は本当に危険になった時、互いに助け合うという優しさを持っているという事です。そして、地震は「忘れたころにやってくる」という事です。なにしろ、地震の前日、父と母が、
「懐中電灯の電池を取りかえておかないと。もしかしたらそろそろ神戸にも地震が来るかもしれないから。」
と言っていた翌日に阪神・淡路大震災は起きたのですから。


Research Center for Disaster Reduction Systems, DPRI, Kyoto University
京都大学防災研究所巨大災害研究センター