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京都大学防災研究所 Presents

近況報告

記録道具なしの個別避難訓練(2014年3月更新)

 私は、2014年1月27日に興津地区を訪問しました。去年の秋時期に、台風襲来のため、個別避難訓練に参加してくださるはずの二人の方と、一緒に避難訓練を行いました。
 お二人は兄妹関係で、甫喜本正昭さん(64)と甫喜本多恵子さん(60)です。正昭さんは、3年前に大阪からUターンして、実家に戻りました。趣味は山登りで、プロ級になっています。興津に戻ってから、春夏秋冬問わず、毎日、大好きな小室の浜で裸足で30分猛スピードで走っています。対照的に、多恵子さんは、身障者で身長が低く、耳が遠い方です。そして、歩くスピードが遅いだけでなく、路上に少しでも障害物があると、転んでしまうそうです。
 私は、去年の夏のフィールドワーク時に、お二人と友達になりました。そして正昭さんに連れていただき、興津の島戸の山に登りました。「ここまで来ると、津波の心配はないですね」と正昭さんが言った冗談を覚えています。正昭さんは、磯釣りなどに行くときにも、「ここで地震に遭われたら、どこへ逃げるか、崖に登るかなどを、いつも気をつかって考えています」と仰いました。防災意識が非常に高いです。

興津

 今度の訓練は平日なので、多恵子さんはわざわざ一日仕事を休んでいました。甫喜本家のすぐ後ろの空き地に、来年度、4号のタワーを建つ計画になっていますが、今度は、まず200メートル先にある1号のタワーに行って、時間を測ります。それから、新しく補強された寺口橋を通って、海抜36メートルある保育園に行きます。
 避難途中、お二人は、「この道は広いね、一方はブロック塀だけど、もう一方は竹垣なので、竹垣の方を歩きましょう」、「あそこの瓦が落ちてくるかもしれない」、「クルマの通行が多いね。多恵ちゃんは避難のときに、まずクルマに注意を払わないと」と、いろいろ話し合っていました。

興津

 1号のワターに着きましたが、登り口に鍵がかけられているため、上へ登ることはできません。「多恵ちゃんは、この前の地区訓練のときに、登って行きました。だが、手すりが高くて、使いにくかったです」と教えてくださいました。多恵子さんは、自分のことを「多恵ちゃん」と呼んでいます。「あ、そうか、このような困難を持つ方もいらっしゃるのか」と初めて気がつきました。
 寺口橋にさしかかると、正昭さんは近くにある小さな田んぼを指して、「あれが、私の菜園です」と教えてくださいました。野菜に農薬を一切使っていないため、白菜などを食べるとき、一枚一枚きちんと洗わないといけません。「中に虫が寝ているから」と。「タンパク質が一番高いじゃないか」と私は冗談を言って、みんなが笑いました。
 保育園についたときに、約30分が経っていました。今度は、訓練用道具のストップウォッチやGPSロガー、ビデオカメラなど一切準備せず、正昭さんは自分の携帯で時間を測りました。
 三人で訓練を楽しくやりましたが、後日、津波シミュレーションとどのように重ね合わせるか、お二人の避難の様子をどのように再現し確認できるかについて、今はフィードバックの方法を検討中です。

興津

 個別訓練がスタートしてから、興津小学校の児童と協力して動画カルテを作るバージョン、私が児童のかわりにサポーターとなって紙版カルテを作るバージョンは既に定着していましたが、今後、記録道具などを使わないときに、住民の方の避難をどのように評価し、津波防災につなげるかが、大事な課題です。

興津地区海抜表示シール設置

 2014年1月30日、興津小学校の5、6年生、地域ぐるみ推進委員、消防団、役場の方とJICA(国際協力機構)視察団の一行が、興津地区にある85本の電柱に海抜表示シールを丁寧に設置しました。

興津

 JICA視察団の研修生として、中米6ヶ国から12名の方も招待されました。あいにくの雨でしたが、児童は大人の力を借りて、海抜シールを取り付けに行きました。ちょうど7年前のこの日に、既に興津小学校を卒業された児童は、四国電力や建設会社などと協力し、海抜シールを貼りました。だが、年月が経つと、文字数が読みにくくなったため、今回は半永久的なステンレスのシールを作りました。

興津

 午後は、交流学習ということで、日西通訳を通しての会話となりましたが、興津小学校の防災の取り組みについて児童が発表し、質疑応答も行いました。

興津

(京都大学大学院情報学研究科 博士後期課程 孫英英)

個別避難訓練の拡大、今後の展望(2014年3月更新)

個別避難訓練の拡大

 2013年10月、私たちは個別避難訓練(注1)を実施するため興津を訪問しました。個別避難訓練は今回で4回目、これまでに18名の住民さんに参加していただいています。
 今回は参加者を事前に決めずに興津に行きましたが、これまでに参加してくださった住民さんの紹介や、私たちの地域の集会での呼びかけで、今回は12名の方が訓練に参加してくださいました。今回の訓練でも走って避難や、乳母車を押しながらの避難など多様な避難をみることができました。その中の一つを紹介します。

興津 以前訓練に参加してくださった窪田さんのお友達である谷さんの避難です。谷さんは普段お友達と谷さんのご自宅でお話をすることが多いため、ご自宅のお庭から友人2名と避難されました。谷さんたちは話し合いを行い「孤立するのは不安だから少し遠いけど、高台に避難する。」と仰り、高台の上にある保育所に避難することを決められました。

興津 さらに建物が倒壊しても大丈夫なように広い安全な道を通りたいと、経路も少し遠回りの広い道を通って避難されました。このように谷さんたちはご自身たちの考えをもとに避難場所や経路、方法を決め避難されました。これは個別避難訓練の効果である「住民が自発的に防災について考えることができる」を表すエピソードの一つです。

(注1)個別避難訓練について紹介すると、私たちの研究室の学生2人と地域の住民1人もしくは夫婦2人が行うもので、住民さんが普段よくおられる家や集会場などから、住民さんが避難するだろう避難場所まで避難するものです。
 避難の間、私たちのチームはインタビューやビデオ撮影を行います。私たちは住民さんに対して意見などは述べず、避難場所や経路、方法などはすべて住民さんに考えていただいています。その結果、これまでの訓練ではなかった車での避難や走っての避難、避難袋を抱えての避難など多様な訓練になっています。

今後の展望

@これまでの参加者たちの避難の経路や時間を記録したGPSデータを一つの地図上にまとめ、津波シミュレーションと合わせます。
 これまでに参加してくださった30名の住民さんの分と、小中学生36名ほどのデータを重ね合わせます。こうすることで、津波が実際に起こった時の地域の中での住民の避難の様子を視覚的に把握でき、これまでには見えてこなかった問題点が明らかになったり、車避難や要援護者などの問題の解決の糸口が見つかるかもしれません。

A個別避難訓練アプリを計画しています。現在計画段階ですが、個別避難訓練をスマートフォンやタブレットを使い個人で行えるようなアプリです。
個人の避難のデータと津波シミュレーションを合わせたり、避難の経路などを記録して比較することができます。

最後に

興津 今回の興津訪問でもっとも記憶に残っている一言があります。それはあるお年寄りの「もう一度避難してみようかね」という一言です。
 私たちが1年ほど前、初めてそのお年寄りを避難に誘ったとき、その人は「もうこの年まで生きたし、逃げなくてもいいよ」と仰っていました。しかし、私たちが何度もその人のご自宅にお邪魔して、お話をしているうちに今回は自ら「もう一度避難してみようかね」と言ってくださりました。
 防災、個別避難訓練を通してその人の何かが変わったのでしょう。東日本大震災後の新しい津波想定で暗くなってしまった地域を、防災を介して住民とふれあい、明るくするそんな研究を今後も目指していきたいです。(2013年 11月18日)

京都大学大学院情報学研究科 谷澤 亮也

第1回目の個別訓練のふりかえり(2013年11月更新)

 今回は、2012年6月26日午後2時から4時までの間に、興津地区で、4名の地域住民に実施した個別訓練をあらためてふりかえりたいと思います。訓練には、14名の興津小学校の5、6年生、興津小の先生方、高知大学の学生と京都大学の学生・専門家が参加しました。他に、取材のために、NHK大阪、NHK高知、朝日新聞などの報道関係者も駆けつけました。

訓練参加者

 個別訓練では、避難場所、避難距離、所要時間、二度逃げの有無などを中心に行います。下の表は、第1回目の参加者の方々の情報です。

実施時間
名前
年齢
避難場所
避難距離(m)
避難所要時間
二度逃げ*
14:00
松井初子
65
保育園
1400
12分41秒
必要なし
15:30
橋本環
85
西宝寺
270
9分52秒
実施せず
14:00
梶原政利
80
忠霊塔
290+30
6分28秒
7分38秒
 
房美
75
       

郷分 松井初子さん

 松井さんは、郷分地区の青松会(老人会)の会長さんで、毎週火曜日、集会所でお年寄りたちを集めて「百歳体操」を熱心にされています。家のすぐ横に、避難タワー(基礎杭が30mも打ち込まれており、地上の高さは15m)があります。
 しかし、東日本大震災後に想定される津波の高さ(25m以上)を考えると、保育園を目指したほうがよいと判断して、そこに避難しました。保育園には、すでに避難訓練で2回行ったことがあり、その時は15分ほどかかっていたそうです。今回の訓練での避難所要時間は12分41秒で、以前より2~3分ぐらい縮まりました。

浦分 橋本環さん(愛称 たまちゃん)

 たまちゃんは1人暮らしで、貝殻集めや短歌づくりが趣味です。部屋の鴨居の上に、色紙が並べてあります。貝殻で花やトンボが表現され、傍らに詩が書かれています。
 訓練前に、材料となる貝殻を手元に寄せ、話し出すと、横で遊んでいた子どもたちがたまちゃんのところに集まり、少し盛り上がりました。美しい貝殻やその絵画に囲まれた、海を愛でる暮らしを楽しんでいます。
 20歳のとき、昭和の南海地震(1946年12月21日)を経験しました。今でも、小学校で南海地震のお話をしたときのことを書いた学校の便りを大切に保管されていて、たまちゃんにとってもとてもいい思い出として記憶されているようです。

小室 梶原政利・房美さん

 寝室には、バールと懐中電灯を常備しています。避難経路の途中のブロック塀が、すこし傾いているため、心配されていました。政利さんのほうが、常に歩みが安定で、房美さんのペースに合わせて歩いていました。時おり、房美さんに手を貸される姿は、感動的でした。
 しかし、訓練後、梶原さんがボソっと漏らした言葉、「いま地震が来たら逃げ切れるかもしれんが、もっと歳をとったら、こうはいかんなあ」というつぶやきには、ハッとさせられるものがありました。それは、「避難場所のすぐ麓に家がある梶原さんでさえも、不安を抱えざるをえない高齢化の現実がある」ということです。

【結果】

今回の個別訓練の中で、次の2点が津波防災に対して非常に重要であることがわかりました。

・訓練時間
 松井さんは、自分の時間の短縮に対して、「子どもたちの前で張り切った」「みんなも、体操しとかなあかんよ」と熱意を込めて仰いました。
 訓練に参加した京都大学の矢守克也先生は、「一度も避難所に歩いて行ったことがない方が、(子どもたちと)ともかく一度行ってみること、あるいは、どうせ何分もかかるから…と思ってあきらめかけていた方が意外に早く歩けることを発見・実感すること、は大事」と、「訓練」すること自体の意義についてコメントしました。
 しかし、年をとっていくお年寄りにとって、3年後、5年後、自分の歩くスピードが衰えていくことが想像に難くありません。この問題にどのように対応したら良いでしょうか。地域社会における津波防災の問題を一気に解決するのではなく、ステップバイステップで徐々に改善していくほかないのかもしれません。

・津波防災のジレンマ
 個別訓練を取材に来たNHK京田記者は、「一番、印象に残っているのが、松井さんの言葉です。『興津で一番、好きなのは海。怖いのは、その海から襲って来る津波』」と仰っていました。
 同様に、たまちゃんも、おびただしい数の貝殻を30年間弛まずに集め、「貝画」としてきれいに仕上げています。NHK中丸記者は、「たまちゃんが作っている『貝殻を色紙に貼り付けた、きれいな絵』に感動しました。これをニュースにしたい」と、2013年4月初旬に、「たまちゃん貝殻アート展」を高知市で開催することになりました。
 東日本大震災後、東北の被災地や南海トラフの巨大地震・津波による被害が予測されている地域社会では、「高台移転」に関する議論が頻繁になっています。一方で、海の傍で育てられ、海を学校のプールのように友達と一緒に遊んだり、毎朝、海に向かって演歌を歌ったり散歩したり、松林の下でテントを張ったりしていたことは、海辺で長年過ごしてきた住民にとって、既に自分の生命の一部のような、生そのものを支えているエネルギー源となっています。
 このようなジレンマからどのように脱却するか、共生していくのか、地域住民にとって緊迫な課題です。

※興津地域で配布した「防災だより」はコチラです。第1回の個別訓練の模様が紹介されています。

(京都大学大学院情報学研究科 博士後期課程 孫英英)

個別避難訓練を実施しました! (2013年8月更新)

 2013年7月9日火曜日、私たちは興津地区を訪問しました。午前中は5月に行った個別避難訓練の紙カルテ(下記)を参加者にお渡しし、午後には興津小学校で行われた防災学習会で矢守研究室の学生である孫が訓練の中で得られた住民が主役になったエピソードを発表し、住民に対しさらなる訓練の進展を呼びかけました。

【紙カルテの紹介】

 私たちは個別避難訓練の個人の成果をまとめた紙カルテを参加者一人一人に制作しました。表面には避難についての概要や避難中に参加者が話された意見などをまとめました。裏面には津波シミュレーションと今回の避難の様子をまとめた図を2枚作成し載せました。片方の図は今回の避難が完了したときに津波がどこまで来ているのかを示した図で、もう一方はもし避難者が何分か遅れて出発した場合、何分避難が遅れると津波に追いつかれてしまう危険性が生じるのか示した図です。
 私たちはこの紙カルテを通して、住民がさらに自発的に、そして家族なども巻き込んで津波避難について考えていただくことを期待しています。

【個別避難訓練のエピソード】

 最後に個別避難訓練だからこそ得られたエピソードを1つ紹介します。2013年5月に行った5日間の個別避難訓練、私たち矢守研究室の学生は普段防災活動に参加していない人もターゲットにするため、事前に参加者を決めずに興津に行きました。
 1日目の夜、私たちがお世話になっていた住民さんの家でくつろいでいると、その住民さんの計らいで、最近興津に来た若い二人のカップルと知りあうことができました。そのお二人はこれまで避難所に行ったこともなく、また避難の経路も十分に把握してはいませんでした。そこで私たちは彼らに個別避難訓練の参加を呼び掛け、後日実際に参加していただくことができました。
 個別避難実施日には、道にも迷わず、思っていたよりもスムーズに避難することができ、また「避難所よりも高い場所に逃げることができるんですね。」、「ブロック塀が倒れてきたら危険だから、丈夫な長靴を準備しないとね。」といった意見を聞くことができました。
 これまで防災に興味のなかった人でも気軽に参加でき、自発的に考える契機になる、個別避難訓練の強みが顕著に表れたエピソードでした。

個別避難訓練の紙カルテはコチラ(PDF)>>>その1 その2

(京都大学大学院情報学研究科 谷澤亮也)

個別避難訓練 (2013年6月更新)

 5月25日からの5日間、興津地区に滞在して、計12名の住民の方と一緒に、個別避難訓練を行いました。

 個別避難訓練とは、住民自身が主役になって、ふだん生活している場所から自ら決めた避難手段、経路で、避難場所まで、GPSロガーを装着しながら逃げていくものです。その間、京大側のスタッフが避難の様子をビデオカメラで撮影し、「車イスを使うお年寄りを助けに行きたいが、時間的余裕はあるかなぁ」「家具固定しておかないとすぐ逃げ出せないかも」といったお話を伺いながら、避難に関する問題をひとりひとりの住民の方々とともに具体的に考えていきます。

興津 訓練をめぐって、たくさんのエピソードがありますが、今回は地元産の新鮮な野菜で、美味しい料理をいつもご馳走してくださる窪田英子(71)・健夫(70)さんのことを紹介しようと思います。
 窪田ご夫妻は、兵庫県の伊丹からUターンして6年間、興津で主にお一人暮らしの老人を対象に、小さな料理店を経営しています。
 「時には、お医者さんの診断書も見て、栄養分に十分気をつかっている」、「東北大震災のときに、上の窪川町にいたが、テレビを見て、お客さんのことが心配になって、戻ってきて、保育園へ連れていった」と、お客さんのことを家族同然のように考えていらっしゃいます。

 訓練の際は、ご夫妻が向山避難広場を目指して避難する予定を事前に聞いたので、てっきりお二人が同じ経路を使って一緒に逃げていくと思っていました。興津では、地震発生後わずか15分で津波が堤防を乗り越える危険性が想定されているため、役場は住民の要請に応じて、一つの避難場所につながる避難経路を増やして、整備を進めてきました。向山へ向かう避難経路は3つあり、住民はそれぞれ自分にとって一番便利で安全な道を選んで避難します。

興津 私たちがご夫妻の料理店に着いて、これから訓練をスタートしようとするときに、健夫さんは、一番便利な避難経路とは反対方向に、200メートル先に住むお客さんの小松さん(94歳)を助けに行きたいと仰りました。そのため、健夫さんは英子さんより、4分遅れて避難場所に辿りつきました。
 驚いたのは、健夫さんが、土木用鉄芯入ブーツを履かれて、8リットルの飲料水を非常用持ち出し袋の中に入れて、35メートル以上の向山に登って行かれたことです。  
 「阪神大震災を伊丹で経験したので、災害後一番重要なのは、お水ですね。ほら、一日2リットルが必要で、家内と二人の分を確保しないと」と仰りました。

 その後の雑談で知ったのですが、英子さんの足は、最近、原因不明の激痛に襲われるそうで、訓練の前日も病院で注射を受けられたそうです。
 「明日の訓練のために、『どうか、良くなっておくれ』と、ずっと願っていたの。もし、ダメになったら、本当に申し訳ないし」と英子さんは優しく仰りました。
 今回の避難ではお二人とも無事に、想定されている津波に追いつかれずに避難することができました。私たちの活動を応援してくださり、いつも温かく迎えてくださることに感謝しています。

※興津地区でお配りした簡易版個別避難訓練のチラシはこちらをどうぞ 


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