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京都大学防災研究所 Presents

第3回 森 信人さん(京都大学 防災研究所 准教授)

「もっと海に向き合おう」(1ページ目/3ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

東日本大震災の復興について

住田)あの大きな被害をもたらした震災から間もなく2年ということになりますけれども、これまで研究をされてきて、今、一番感じていらっしゃることはどういうことですか?

森)そうですね、震災直後から半年に1回くらい、東北に入って復興の様子を見ているのですが、生活面では、かなりの場所で生活の息吹が感じられるようになり、非常にいいなと感じています。
 一方で、科学的には、どういう津波が来て、どういう被害が出ていたかということが、あまりはっきり分かっていないのにもかかわらず、まちづくりや防災計画などがどんどん進んでいて、復興のペースがちょっと早すぎるんじゃないかなと思うような場所もあります。

住田)つまり、どういう被害があったかということを、きちんとおさえてからでないと、その先に進めない、あるいは進むと何か見失うことがあるということですか?

森)そうですね、3.11の場合で言いますと、岩手県の中部から北部は、どういうシミュレーションをしても、実際に起きた被害を説明できなかったんですね。実際の被害のほうが大きかったということがあって、これはみんな疑問に思っているところでした。ようやくその原因が分かったのが、ほんの数か月前なんです。
 防災計画上は、基本的に、例えば同じ津波が来たときに、同じ被害を出さないということが一番大事です。なので、ある場所でどういう津波が来て、どういう被害が起きたかはっきり分からないまま復興してしまうと、また同じことが起きるという危うさがあります。

住田)釜石の場合などは、防災教育が行き届いていたので、子供たちはいち早く高台に逃げて命が救われたということにスポットが当てられました。一方で、大きな防波堤があったけれどもそれは崩れてしまった、それを乗り越えてしまった、ハードがほんとに役に立ったんだろうかという報道にも接します。海岸工学を研究されている森さんからご覧になって、どう思われていますか?

森)そうですね、今回は、ある意味、ハードウェアの敗北ということもなきにしもあらずだったんですが、詳しく見ていくとハード的な対策があったことによって守られた部分もあります。今出ました釜石の例ですと、釜石には、沖に湾口防波堤という、数キロに及ぶ非常に長い釜石の湾の中を守る防波堤があるんですね。

住田)湾の入り口の防波堤と。すなわち海岸すぐではなく、海の中にある防波堤ですね。

森)ええ、そうです。港からは見えないくらい外にあるもので、非常に大きなものです。水深63メートルという世界でいちばん深いところにある防波堤なんですけれども、残念ながら地震と津波でだいぶ壊れてしまいました。しかし、われわれの研究の一部によりますと、湾口防波堤の有無で、大体30%から40%くらい、釜石市内の水位を下げたという試算が出ています。つまり湾口防波堤があることによって、3〜4割の被害が軽減できたんじゃないかということが分かってきました。

住田)なるほど、つまりハードというのもやはり非常に大切、命を守るのに役立っていたということですか?

森)ええ、そう思います。ポイントはソフトウェア対策ですね。避難も重要なんですけれども、人の意識というのはどんどん変わっていきます。去年、今年は、市民のみなさんの意識や注意力が非常に高いんですが、これが20年、30年経つと、どんどん下がっていくんですね。30年で大体一世代と言いますけれども、次の世代になると、もうそういう防災の記憶が無くなっていくと。
 そういう時にどう守るのかということが非常に重要です。ひとつは防災教育ですね。30年経っても忘れないということ。もうひとつは、忘れてしまっても、なんらかの形で守るということで、ハードウェア対策というのも重要になるというふうに考えています。

住田)なるほど。そういう意味では、今回何が起きたのかを、つぶさに調べていくことがやっぱり大切だったということですね。

森)そうですね。

津波の痕跡調査

住田)津波の後の調査、と一言で簡単に言いますけれども、これは具体的にはどういうことを調べていかれたんですか?

森)津波の後の調査には、いろいろありますが、われわれ津波や海岸工学の研究者が第一にやっているのは、津波の痕跡調査というものになります。これは窓の泥などの津波の跡や、いろんな木にひっかかっている漁網などを調べて、海から何mまで津波が到達していたかということを調べるものです。

住田)家やビルなどの構造物によっても違うんでしょうが、それをひとつひとつ細かくチェックし、記録にとっていくのですね?

森)はい、津波の場合は、ひとつひとつの湾ごとに異なります。特に三陸のリアス式海岸ですと、隣りあった湾でも形態が非常に違うので、そういうひとつひとつの湾を見て、その湾の中で、建物の右と左でどう違うかとか、通り1本違うとどうなるかということを、数m、数百m単位で細かく調べていくという作業が必要になります。

住田)津波の痕跡調査はなるべく早く、残った痕跡が消えないうちに調べていかなければいけないということで、東北では相当大がかりな仕組みで動かれたそうですね。森先生がその後方支援をされたそうですが。

森)はい、津波が起きた次の日からどういうふうに調査するのか、日本全国の津波の研究者で話しあいました。京都大学は西にありますので、われわれはバックアップをしようと、東の人に主に測っていただくということを考えました。大体300人くらいの大学の研究者や国、民間の技術者の方にも手伝って頂いて、北海道から九州までの津波の痕跡をずっと調べてまいりました。

住田)みなさん、すごいエネルギーですね。

森)そうですね。参加して頂いた方には、本当に頭が下がります。われわれは「調査をします」「そのバックアップをします」と宣言しただけなんですけれども、他の研究者の方たちに賛同していただいて、今回の調査はそれぞれ自分たちの研究費で調査して頂き、まとめることができました。サイエンスボランティアのような感じになったと思っています。

住田)サイエンスボランティアですか。後方からご覧になっていて、次々にあがってくるデータについてはどのように思われましたか?

森)なんとも言えないですね…。とにかく大変なことが起きているんだなということだけは実感しながらやっていました。その中でも、技術者・研究者としてまず出来ることをやるということで、われわれは調査に、最初の三か月は全力を費やしたということになります。調査の結果は復興の計画のもとにもなっていますし、内閣府や中央防災会議の基礎資料として全部つかわれていますので、復興には非常に役に立ったんじゃないかと思っています。



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