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京都大学防災研究所 Presents

第7回 高橋 良和さん(京都大学 防災研究所 准教授 ※2014年2月1日より 京都大学大学院 工学研究科 准教授)

「耐震工学に、誇りと志を」(4ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

東日本大震災

住田)高橋さんがそのあと研究の道に進まれて、そして起きたのが2011年の東日本大震災ですが、この時は橋というものにどういう課題があったんでしょうか?

 高橋)仙台のほうで阪神大震災以降に橋の耐震性能をあげようと取り組んできたもののひとうに、ゴムの材料でできた「支承」があります。「支承」とは桁を受け止めている部分のことです。
 これは、むかしは金属で出来ていたんですが、免震などの技術で使われているようなゴムで上の桁をやわらかく支えて地震への抵抗をあげてやろうというものが、阪神淡路大震災以降に多く取り組まれてきました。その部分が非常に多く壊れたんです。ゴムで支えられた部分が破断していたんですよ。
 幸いにも、落橋までには至らなかったんですけれども。結果的にはそれはラッキーだったと思うべきで、非常に大きな災害だったと思います。それともうひとつは耐震補強しなかったものが壊れたんです。たとえば東北新幹線でも、耐震補強をしたところは壊れていませんけれども、耐震補強していない区間で、それも落橋には至っていないんですけれども、非常に大きな被害がありました。
 実は耐震補強をしていないというのは、正しくいいますと、耐震補強するかしないか、早急にすべきかしないかということを判断して、早急に耐震補強しなくてよいと判断されて残った高架橋に被害が出たということです。

 住田)つまりある程度の揺れならばだいじょうぶだろうと判断があったということですか?

 高橋)ええ、優先順位としては、最上位ではない、2番手にまわしてもいいと仕分けされていたわけです。その結果、早急にすべきじゃないと判断されたものが壊れたということなので、一概に耐震補強していないものが壊れたというには、あまりにもわれわれの責任は大きいような印象があります。

住田)阪神・淡路大震災、それから東日本大震災にも重なるところがあります。そして、次に重ねていかなければいけない課題も見つかってくるということですね?

高橋)はい、阪神大震災の時には、わたしはまだ学生だったということもあって、今までの先輩方が取り組んできたことはいったいなんだったんだろうというふうに思ったのも実は正直なところなんですね。
 実は今度の東日本大震災になったときに、われわれはおなじように見られているんじゃないかなと思うわけです。その意味で、やっぱりうまくいったところうまくいかなかったこと、どちらかだけをクローズアップするんではなくて、その両方の側面から検討して後世に伝えていくということが次の世代の耐震工学の分野の発展につながっていくんじゃないかと感じているところです。

研究の夢

住田)では橋というものをご専門になさっています、今後の夢はどういうものになるでしょうか?

高橋)やっぱり信頼される耐震工学を実現したいと。信頼されるということは、もっと身近な言葉でいうと、自分の家族に対して、胸を張って紹介できる技術であったり、社会を実現したいと思います。
 やっぱり土木というものは人のために資する学問であるわけです。ただ、土木というと建築と違ってなかなか個人の顔って思い浮かばないですよね。やっぱり不特定多数の人が使う構造物を対象にしていることが多いですけれども、最後は非常にパーソナルなことですけれども、社会のもっとも原点である自分の家族に対して、われわれが取り組んでいることを胸を張って示すことができる社会ていうんですかね。
 自信をもって、単に安心だけではなくて、自分の誇りというんですか、自分たちが取り組んできたものを胸をはって示すことができて、それを受け入れていただけるような社会あるいは耐震工学というものに進めていきたいなというふうに思っています。

住田)いろんな橋や道路のメンテナンスが行き届いていないじゃないかっていう目もありますけれども、それを補いながらも、新しいものに挑戦していくということですね。土木というのが、社会とのまさに架け橋であるというのが今日お話を聞いてよくわかりました。科学と社会の間にその橋をかけていくという高橋さんのお話、今日はどうもありがとうございました。

高橋)どうもありがとうございました。



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