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京都大学防災研究所 Presents

第11回 川池 健司さん(京都大学防災研究所准教授)

「都市の浸水、診断します」(3ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

阪神淡路大震災での経験を通じて

住田:なるほど。ご出身は兵庫県西宮市で、ご実家から大学に通っていた時期が長かったそうですね。その間、平成7年、1995年、阪神淡路大震災。西宮も激震に見舞われた場所でしたね。

川池:自宅から大学に通ってたんですけど、1限目の授業に出るために5時45分に目覚ましをセットしていまして、ぼーっとしているところにあの揺れがやってきたんですね。だから、地震っていうのはすぐわかったんですけども、もう、ほんとに布団の中に潜り込んでじっとしてたっていう状態でした。

住田:西宮にも相当な被害がありましたよね。

川池:そうですね。自宅の周りも木造の小さい家が多かったので、のきなみ傾いて、一時は、更地だらけの町になってました。

住田:ボランティアにも出向かれたそうですが。

川池:そうですね。知り合いの方に声をかけていただいて、灘区役所の方に一角を借りて、来られたボランティアの方の受付のようなことをやっていました。来られた方に「今日はここの避難所に行って下さい、こういう仕事が待ってます」というようなことや、報告書を整理したり、そういうボランティアを春休みの期間にやっていました。

住田:そうですか。たしか、私も灘区役所に取材にいったんですが、あそこも建物にひびがいったり、かなり危険な状態でしたよね。

川池:そうですね。

住田:工学部ですから、ちゃんと壊れないものを作ろういう社会にいらっしゃったわけですが、それがあれだけ破壊されてしまうというのはどう思われましたか?

川池:そうですね。その時は、たしかに土木という専門分野で学んではいましたけれども、やはり自分が被災地にいて、水が使えない、ガスが使えない、ライフラインが途絶するということが、本当に人の生活に不便を与えるんだということを経験しました。
 あとは、やはり私は20年間ずっと西宮にいましたので、自分が生まれ育ったところの景色がこんなに変わってしまうということに、本当にショックを受けました。やっぱり、どこか遠いものとしていた災害というものを間近で感じた経験でした。

ぴったりとあった、卒業論文から研究分野へ

住田:学部の卒論テーマは、「高潮被害の際の避難シュミレーション」だったそうですが、これはやはり数式と格闘するものだったんですか?

川池:そうですね。ここで、久々にプログラミングに向き合うことになりまして、それまで確かに学部の授業でもプログラムってやってたんですけども、なんかその時は身につくものではなくて、30行とか50行くらいのプログラムでも、本当にひーひー言ってたんです。ところが、いざ卒論でそのプログラミングに向き合った時には、もう本当に面白くて。やっぱりプログラムを作るときって独特の考え方がありますので、それは小学生の時に経験があったっていうのが、つながってたのかなって思いますね。

住田:再びここでプログラム魂、わくわくする気持ちですよね。しかもこれは、実際に大阪湾に面した地域で、高潮がきたらどういう風に被害があるだろうってことをシュミレートしてくるものだったんですね。
 非常にこれは社会と密接した研究ですよね。帰りの時間もなんか遅い時間まで研究室に残ってらっしゃったんですって?

川池:そうですね。終電が夜11時3分発。今でも時間を覚えているんですけれども、京橋駅の乗り換えでダッシュして、帰宅が夜の12時半という生活を毎日、ほんと毎日やってましたけど、全然苦にならないくらい、本当に卒論は楽しかったです。

住田:よく、学生時代にやりたいことがなかなか見つからずにいろんな研究分野にスイッチしたって方もいらっしゃいますけども、もう、まさにぴったりあってたってことなんですかね。

川池:そうですね。やはり震災から1年ちょっとで研究分野をきめて、地震ではなかったですけれども、災害に関係する研究をしていくべきなんじゃないかなって、自分の中でそういう思いがありましたので。

研究の楽しさと、現場での実感と

住田:なるほど。そして修士課程、博士課程では、いよいよ水の流れというものを解析すると。

川池:そうですね。先ほど見ていただいた複雑な式ですが、私も学部の授業で習った時は、さっぱりわからなかったんですよ。
 何を言ってんだこの式はって感じだったんですけれども、いざプログラムに書いてみて計算させてみたら、確かに高いところから低いところに水が流れていってるひとつひとつの部分がこういう意味を持っていて、こういう流れのこういう要素を表しているんだってことをひとつひとつ理解していったら、「ああ、そうやって水が高いところから低いところに流れて行ってるんだな」、「周りのスピードの影響も受けながら、こういう風に流れていってるんだな」ってことがコンピューターの上ですけども、再現できた。
 自分が作ったプログラムでそれを再現できるっていうことが本当に楽しくて。

住田:水っていうのは、きっと分散したり集まったりするときに流れも速さも違うし方向も変わってくるし、そんなことが、私にはいくら見てもわからないですが、この数式の中にあらわされているということなんですね。

川池:そうですね。

住田:2000年の東海豪雨では、現地調査にもいかれたそうですが。

川池:はい、各地の先生方の調査団の中に入れていただいて、堤防決壊地点で、まだ水が完全にひいていない、まだ浸水が続いている状態のところにも調査に行きまして、自分がやっている研究が、これから社会で、ひょっとしたら今まで以上に必要とされていくのかなぁっていうような思いをもった調査でした。

住田:水害というのは、泥の匂いがしてそれをかきだすのも大変だし、人間の生活がほんとにもうストップしちゃいますよね。それを目の当たりにされたんですね。

川池:そうですね。被害にあわれた方が、家の中を掃除したりゴミを出したり、っていう作業をされてましたけど、ほんとに大変な状況でした。
 また浸水が床上なのか床下で止まるのかによって、全然被害の様相が違ってくるような状況もありました。車もたくさん被害を受けてたんですよね。

住田:何センチかの差だけど、その水の量によって受ける影響が全然違うってことがあったわけですね。

川池:そうですね。やっぱり、名古屋という大都市でこれだけの被害が起こるんだっていうのは、水害を研究する我々にとっては、本当に大きなインパクトを与えた水害ですね。



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