■アメリカでの経験
住田:さて、耐震工学がご専門の松島さんですが、ここまでの前半では、振動、揺れですね、とりわけ、地震動の秘密を知る手がかりとして、3つの顔、3つの側面があるんだというところまでお伺いしました。それを、さらに伺う前に、少し、松島さんのこれまでの道のりを伺いたいと思います。
松島さんは、名古屋でお生まれになって、鎌倉で育って、ただ小学校時代はアメリカのニューヨークにいらしたんですね、この経験はやっぱり今にもつながる部分ありますか?
松島;そうですね、アメリカにいたということで、いろんな人と触れ合う機会がありまして、その中で、ものおじしないというかですね。
日本にいると、なかなか外国人の方と触れ合う機会がございませんので、どうしても「あ、外国人だ」と思ってしまうんですけど、そういう感覚はなくて、いろんな人と、普通に接することができるようになったのは、その当時のおかげだと思っています。
住田:宇宙とのつながりもアメリカ時代にあったんですか?
松島:そうですね、つながりというか、アメリカにはNASAがありまして、たまたま家族で、当時フロリダにあるディズニーランドに行ったついでに、NASAの宇宙センターに見学に行ったことがあります。
住田:ここで宇宙への心に火がついたと?
松島:というわけではないんです。
住田:では、ないんですか。
松島:当時はもちろん憧れというかですね、宇宙が非常に面白そうだというのはあったのでそういうとこに見学に行ったわけですけれども、それは必ずしも継続してずっと残っていて、宇宙を目指したということではないんですね。
住田:ガンダムと出会ったのは、では、中学の時だった?
松島:そうですね、日本に帰ってきてからになります。
住田:高校では宇宙工学も視野に入れてということだったそうなんですが、名古屋大学の建築学科に進まれることになるわけですね。
松島:そうですね、宇宙空間にものを作るとしたらやはり、あの、ま、機械工学と宇宙工学も必要なんですけれども、人間が住むという限りでは、やはり建築というものが大事になってくるのではないかと思って、建築学科に進むことにしました。
■入社直後の阪神淡路大震災
住田:1994年に建築会社に入社されて、清水建設の技術研究所に配属になるんですね。ところが、1994年入社ということは、もう1年目の冬に阪神淡路大震災があったということですか?
松島:私はまだ入社1年目でしたけれども、地震が起こった時に、建物がどういう風に被害を受けるかっていうことが、非常に建設会社としても問題だし、研究分野としてもそういう分野をやろうとしていていたんです。
建物が揺れるっていうことは、地面も揺れるわけです。地面が揺れて建物が揺れますので、じゃあその被害を起こした揺れというのは、どういう揺れだったかということを調べるために、その手掛かりとして、地盤がどういうものだったかというのを調べなければいけないということで、余震観測といいますけども、大きな地震が起こったあとには、必ずそれよりも少し小さな地震がたくさん起こりますので、そういう記録の観測に参りました。
住田:実際に神戸に着かれたのが、翌日ですか。
松島:そうですね。1月17日のお昼すぎに東京を発ちましたけども、まず神戸に行く前に、ここの宇治の防災研究所に立ち寄って、打ち合わせをして、翌朝に宇治を発って、神戸に入れたのはお昼すぎぐらいだったと思います。
住田:六甲山を超えて、神戸の市外地に入られたと。その時は、どんな光景でした?
松島:そうですね、どういう状況か分からなかったので、とにかく山側から入っていくと、ほとんど建物が壊れてない、全然被害がなくて、普通に建っているんです。
でも、だんだん降りていくと、少しずつ被害がある建物が点在してきて、海のほうに降りて行くと、もうなんていうか、今まで山の途中で見た被害なんてものは問題にならないほど、すごく大きな壊れ方をしていたり、その数が非常に多く増えてきて、もう、これは、なんていうか、ただごとじゃないっていうことが、降りてくるにしたがってですね、見えてきて、だんだん緊張したというかですね、これはただごとじゃないっていうのを実感しました。
住田:うーん。つまり同じ神戸の市街地でも、場所によって壊れ方が違ったということですね。
松島::はい、だいぶ違いました。
住田:建設会社にお勤めですから、建物が破壊されて壊れてるっていうのは、どういう気持ちだったんですか?
松島:そうですね、我々が習うのは、建物をどう作るかということで、もちろん、その建物が壊れないように作るというのは大前提なんですけども、それまでの被害が大きくなった事例としてはですね、非常に昔の、例えば関東大震災の映像を見たりとかですね、非常に限られたものだったんです。
それをはるかに凌駕するような被害の起こり方で、非常にこれはなんていうか、なんとかしなくちゃいけないっていうか、原因をですね、なんとかつきとめて、こういうことが二度とあってはいけないということを感じました。
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