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京都大学防災研究所 Presents

;第17回 関口 春子さん(京都大学防災研究所)

「揺らぐ大地に、こころが響く」(3ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

阪神淡路大震災

住田:宇宙よりは、地球を選んだということですね。修士課程に進まれて、入倉教授の研究室で、強震動の研究ということになってきた。つまり強い震動、地震の強い振動を研究すると。ところがその冬に、阪神淡路大震災、兵庫県南部地震が起きたんですが、これは、早速研究の対象だということになったわけですか?

関口:修士に入ってまだ1年生で、震源のプロセスの勉強をしていたんですけども、その時にほかに震源のことをメインに研究している学生がいなかったので(卒業直前の先輩は居られたのですが)、私が神戸の地震の地下の断層面でどういう破壊が起こったかっていうことを解析することになりました。

住田:すぐに被災地に行かれたんですか?

関口:研究室だけじゃなくて、同じ強震動を専門とするいろんな研究者が日本中から入倉研究室に来て、そこを拠点にして神戸に入っていきました。

住田:では、みんなで共同で解明していこうと。

関口:はい、何チームにも分かれて、神戸ですとか、淡路島の方にも余震を観測に行きました。

住田:地震が起きた後ですけれども、そのあとに起きる地震をみてみるわけですね。

関口:観測のターゲットは、そうです、余震です。でも、なぜ余震を観測するかっていうことなのですが、被害が大きかった、たぶん揺れも一番強かったところに地震計があることは、非常にまれなため、そういう場所での本震の記録はあまり無いわけです。
そこで、ゆれが強かった場所に臨時の観測点を置いて余震を記録して、さらに別の場所での本震の記録も使って、揺れの強かった場所での本震での記録、本震での揺れっていうものを再現するということです。

住田:言ってみれば、それを推し測っていくわけですね。

関口:そうです、はい。

住田:まさにその強震動というものの伝わり方を研究し始めていた関口さんにとっては、阪神淡路大震災は非常に大きな出来事でしたよね?

関口:そうですね。地震の揺れって、いろいろな要素が積み重なって最後に地面に出てくる複雑なものなんですけれども、いろんな研究をちゃんとつなぎ合わせると、こんな複雑なことでもちゃんと説明ができるんだということ・・・そういうのが研究っていうものなんだなっていうことを実感しましたね。

子育てを経て

住田:なるほど。本当にこれは私たちの身近で起きた大きな出来事だったんですが、その後京都大学で、博士前期課程、そして後期課程を修了されて、一度はつくばの産業技術総合研究所に移られて、冒頭の部分でもお話いただきましたように、様々な地震の被災地にも調査に行かれた。
この、京都大学に戻ってこられたのが、2008年ということでしたね。ところが、関口さんの暮らしの中にも、この間に大きな変化があったと?

関口:はい、京大に戻ってくる1年ちょっと前ですけれども、子供が生まれまして、これでだいぶ生活のペースが・・・皆さんそうだと思いますが・・・

住田:そうですね。それは、やっぱり研究に関してもなにか心境の変化ってありましたか?

関口:心境という意味ではないんですけれども、もっと物理的に好き勝手がきかないという。職場にいる時間は半分くらいになりました。でも、その代わりというか、昔は燃え尽きるまで夜中まで作業していることが多かったので、常に体が疲れている状態だったんです。
たぶん平常時がすごく疲れているレベルで、ずーっと何年もいたんだと思うんです。それが子供が生まれてから寝るようになって、なんか昼間に頭がさえてるなって思いました。健康的には、だいぶ良くなったと思います。

住田:非常に、メリハリの利いた暮らしに、研究生活になってきたと。赤ちゃんのおかげで。さて、4年が過ぎたんですけれども、東日本大震災、この地震に私達も大きな衝撃を受けましたけれども、3.11は、どのように受けとめられましたか?

関口:三陸には、津波を起こすような大きな地震が起こるっていうのも常識でしたが、たとえば福島などは、被害地震が一番起きないところという感じの方が強かったですね。
たぶんそれは、ここ数十年、いろいろ地震観測ですとか、GPS観測とかがよくなってきて、それ以外にも古い歴史の地震なんかも見たりされていますけども、それでもこの地域の地震はそこそこの地震ばかりで、データは十分じゃないのに安心し過ぎていたかもしれないと。

住田:つまり、私たちの知見は、ほんのわずかの歴史しか見てないんだっていうところへの謙虚さっていう部分ですかね?

関口:そうですね。ただ、実は、貞観の津波みたいな話もあって、サイエンティフィックにも、大きな地震が、大きな津波がおこるっていうことが分かってきてはいたんですけれども。

住田:つまり、かなり内陸部まで津波が来た跡があるよっていうことがもう実際にわかりつつあったんですもんねぇ。

関口:わかりつつあったんですけども、やっぱり千年とかいう単位で起こることって、証拠が出されても受け取る側として緊急性を感じるのが難しいんだなと思いますね。

住田:科学としてわかってきていること、それを私たちが備えなきゃいけないっていうモードで社会として受けとること。その橋渡しの部分の感覚ですかね?

関口:そうですね。でも、難しいですよね。どうしたらいいのか、ちょっとそこは・・・

住田:いろんな研究や仕組みが必要なのかもしれないですね。今、大きくうなずかれましたけれども、さあ関口さんの研究においては、これからどういうことをこの先やっていくのか、あるいは次の若手の人達にこれを継いでいきたいっていうことなどはありますか?

関口:先ほどは、震源の解析の話を主にしたんですけれども、今はそういうような知見を使って、将来の地震の予測をする仕事の方をメインにやっているんです。その方面で、納得のいくくらいまでやってみたいなって思ってます。

住田:具体的には、どの地域のこういう地震が起きたときのというところまではイメージはあるんですか?

関口:今、実際やっているのは、大阪の堆積盆地の構造モデルを作って、震源としましては上町台地断層帯を震源とする地震動の予測をしています。理由としては、ほかの地域やほかの断層に比べて情報が充実していて、研究的なことを考えますと、より高い精度で出来るのではないかなと考えられるからです。
必要性としてはもちろん日本全体なのですけれども、突き詰めるという意味で、大阪を一番のターゲットとしてやってます。

住田:大阪平野にもたくさんの人が住んでます。そして、関口さんのいろいろな研究の成果というのは、大阪だけではなく、首都の直下で起こるかも知れない、それ以外のところでも起きるかもしれないといった人達の将来に非常に大切な結果を秘めてるんですね。

関口:はい・・・



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