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京都大学防災研究所 Presents

第19回 米田 格さん(京都大学防災研究所)

「満点の防災、奏でたい」(2ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

マンドリンの登場??

住田:技術職といいますと、機械の方ばかり見ていらっしゃるのかなぁと思っていましたら、それだけではないということで、ここからはそんな米田さんがなぜこの道に進んだか、そこには意外なこだわりもあったということですので、そんなことも交えてお話を伺っていきたいと思います。
大阪府高槻市にあります京都大学阿武山観測所、ここで技術職員として研究活動をされていらっしゃる米田さんですが、現在お年は33歳?

米田:33歳ですね、はい。

住田:ちょっとふっくらがっしりされていて、黒縁のめがねをかけてらっしゃいますけれども、お生まれは鳥取県ですか?

米田:そうですね、鳥取の中部ですね、はい。

住田:幼いころにはメキシコに引っ越されたり、幼稚園から中学2年生までは長崎県、そして、さらに広島県に引っ越して、高校を卒業されたと。日本各地、あるいは海外とかなり転々としながら、興味や関心も転々とされていたというふうに伺っているんですが。

米田:なんかいろいろ体験してはすぐやめて、すぐ、今度はこうやりたいとなってしまうというか。熱しやすく冷めやすい性質で・・・

住田:小学校では何を?

米田:水泳だったり、電子オルガンだったり、あとは、剣道とかいろいろ。いろいろちょっとやってみたんですけどね・・・

住田:文武両道ですね。中学では?

米田:中学ではバスケット部に入って、これも1年で辞めてしまったんです。

住田;高校では?

米田:そうですね、高校ではやっぱり自分の体形を生かして、柔道部だったらできるかなと思って・・・

住田:それは、似合ってる。

米田:はは、そうですか、ありがとうございます。
でもそれも、やっぱり、なんか怪我が多いのを見て、あ―これは危険だなとと。ちょっとびびりな性格が出てしまって、はい、1年で辞めてしまいました。

住田:うーん。でもラジオを聞いていらっしゃる方の中には、いやいやそんなもんだと。いろいろね、若いころは関心をたくさん持つっていうことに共感を持たれる方も多いと思いますけれども。大学では、鳥取大学の工学部に進学されまして、ここで応用数理学科ですか?

米田:そうです。

住田:ってことは、物理とか数学とか・・・

米田:そうです、はい。

住田:そこで、米田さん、実は、ついにこれだというものを見つけられて、出会ったと。それは何かと言うと・・・・・・今なんか取り出されましたが・・・

(マンドリン/演奏)

住田:これは、あのマンドリン・・・

米田:そうです。マンドリン・・・

住田:マンドリンに出会った!はぁ〜。これは、サークル活動ですか?

米田:そうですね、サークル活動で。

住田:なぜまたマンドリンをここで?

米田:そうですね、中高と運動部に入ってて長続きしなかったので、やっぱり文化部の方がいいのかなと思って、ずっと昔から音楽やってみたいなというのがあったので、探していたらとてもいい感じの先輩がおられて、この人だったら仲良くやっていけそうだなということで、マンドリン部に入ったんですけど。

住田:ちょっとはにかみながら語ってらっしゃいますが、“ぼうさい夢トーク”としては、異例の展開なんですけれども、このマンドリンの音色などに魅力があったんですか?

米田:そうですね、はい。音が珍しいというか、ころころっとした音が良くって、結構いい音楽も多くてですね、はい。

住田:そうですか。鳥取大学の工学部は、県の東の鳥取市の方にあるんですけれども、県の西の端、95キロ離れた米子にもキャンパスがあって、そちらのサークルにも・・・

米田:そうですね、医学部のキャンパスがあったんですけど、医学部の方は勉強が忙しいので、一応、私は暇だったんで、弾けるやつ来てくれって言われて、よく行って弾かしてもらってました。

住田:そっちのほうにも助っ人に行っていたと。

米田:そうですね。スーパーサブと呼ばれて、ははは。

住田:その鳥取と米子の両方のキャンパスで、マンドリンに熱中されてですね、その流れで大学もちょっと長めに・・・

米田:そうですね、授業には最初のうちは出てたんですけれども、ちょっとマンドリンのことしか考えられなくなってしまって、だんだん行かなくなったら、ずるずると2年くらい長めにいることになってしまいましたね。



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