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京都大学防災研究所 Presents

第19回 米田 格さん(京都大学防災研究所)

「満点の防災、奏でたい」(3ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

技術職員として

住田:そのころですね、やっぱり将来の道筋、どういうところを選ぼうかということになりますよね。どういう風に考えてらしたんですかね。

米田:そうですね、結局大学までにやりたいことを見つけたいなと思ってたんですけど、探し切れなくて、それであれば、趣味でマンドリンを続けられるような職業を探そうと思って、まず土日が休みで、あとは鳥取からだと関西が近くて、関西ではけっこうマンドリンが盛んだったんですよ。
土日にそういう社会人団体に入って続けられればいいかなと思って。それで、土日が休みな公務員を関西で探していたんですよ。事務職よりかは、やっぱり技術職の方が自分には向いてるかなというのもあったので、応用数理工学科っていうのがどっちかというと工学の基礎を学ぶところで、物理という分野で入りたいなと思ってたんですけど、その募集をしていたのが、京都大学の防災研究所という場所だけでして、一応そこに就職させてもらったというか。

住田:じゃこのあたりはちょっとマンドリンに導かれつつも、物理というものと融合というか、そういう道のりだったんですね。見てくると、防災というのはまだその頃は前面には浮き出てこなかったと。

米田:そうですね。まだマンドリンの方が上だと。申し訳ないですね・・・

住田:しかし、その、「防災」というキーワードがだんだん接近してくるわけですけれども、京都大学の技術職員として採用されたのが2006年。

米田:そうですね、はい。

住田:いまからちょうど9年前ということですけれども、防災研のある宇治キャンパスに最初はお勤めになったんですね。

米田:最初の1年は、宇治の方で、研修もかねていろんな仕事をさせてもらっていました。

住田:そのころ主に向き合ったのはどういう?

米田:「遠心載荷実験室」というところの支援をしてくれということで、そちらに伺わせてもらってました。

住田:「遠心載荷実験装置」というのは、このシリーズを聞いてらっしゃる方は、はっと思い出されたと思いますが、第15回の飛田哲男先生の時にお伝えしました。大きくがーっとまわりながら、その先に実験機械がついているというものでしたね。この装置のメンテナンスを?

米田:実験のフォローというか、そうですね、はい。

住田:そして、そのほかには?

米田:あとは、最近ちょっとニュースにもなってたんですけど、口永良部島というところの測量ですかね。桜島観測所さんの仕事で手伝いに来てほしいというふうに言われたので、一応、それも研修をかねて行かせていただきました。

住田:口永良部といえば、桜島の、このシリーズ、第16回、中道治久先生の時に、私達も桜島にお邪魔して、口永良部にも行ったんだという話を伺いました。そこでいわゆる観測をされたんですか?

米田:測量ですね。火山がどれだけ膨らんでいるかっていうのを調べる・・・

住田:山体がどれだけ膨らむかっていう・・・

米田:そうですね、それで島をぐるっと回って測量して、その前に測量したときとどれくらい変化があるかっていうのを調べるというような業務でしたね。

住田:なるほど。そして、その仕事を始めて2年目からは、白浜観測所に移られると。これも、このシリーズ第18回の馬場康之先生の時に紹介しました。あの黄色い観測塔が海から突き出ているところですね。あそこでは?

米田:そこでは、2年間、夏だと、船で、あの黄色い塔のところまで行って、機械のメンテナンスをしたり、台風が来そうになったらどれだけ海の水位があがるかとか・・・

住田:うねりがばーっときますね。

米田:そうですね、そういうものを測る測器を入れたりとか、そういう観測のお手伝いをさせてもらっていました。

住田:いろんな観測のまさに現場を踏まれたわけですね。

米田:そうですね。はい。

住田:どうでしたか?その日々は充実していましたか?

米田:そうですね、実際の現場が見れてよかったなと思う反面、いろんな先生と関わるので、その先生方は皆さん、こう新しいことを解明したいというか、そういうやる気に満ち溢れていてですね。
私はどっちかというとそのマンドリンをやりたいで入ったもので、こういう心構えでいいのかなとか、研究を私らがしているわけではないので、その、ずっと支援というか、なんていうんですかね、あの、研究をフォローするだけでいいのかなとか、いろいろ悩むことも結構多くなってきてですね。

住田:悩みつつも、マンドリンもやってらした?

米田:その頃は、あれですね、バンドをやりだして、ははは。

住田:ははは、そうですか。音楽を楽しむ、音楽でも充実していましたが、その一方で、この研究現場も気になるなと思ってらした?

米田:そうですね。はい。

サイエンスミュージアム化構想の転機

住田:さあ、しかし、その人生とは不思議なもので、ここで次の転機がやってくると。2009年にここ阿武山観測所に異動になられて、そこであるプロジェクトの構想が始まったんですよね。

米田:そうですね。「サイエンスミュージアム化構想」と言いまして・・・

住田:「サイエンスミュージアム化構想」、“ミュージアム”と化けるという字ですね。

米田:そうですね。2011年から始まったんですけれども、先ほど言ったように、85年の歴史というか、ずっと観測してきて、どういう苦労があったかとか、どういう機械を使ってきたかとかっていう歴史が、もうそのまま残ってる観測所だったので、せっかくこういう歴史的な財産があるので、そういう場所を使って何かできないかっていうことになりまして。
じゃあ、ここを「地震の博物館」みたいにしたいねっていう話になって、それで始まったのが「サイエンスミュージアム化構想」でして。

住田:サイエンスの教育の分野にも近いものですね。

米田:そうです。これの大元には、「減災社会プロジェクト」っていう研究が始まったことがありまして、要は、研究者が研究して、一般の方々がそれを聞くとかではなくて、一般の方々もやっぱり防災減災について、教えてもらうとか、誰かがやってくれるとかではなくて、自分たちも考えなくちゃいけないんじゃないかと。
そういう取組がありまして、要は、ここも「サイエンスミュージアム化」するにあたって、私や先生方が、一般の方に伝えるのではなくて、市民の方々にむしろ入って来ていただいて、地震の出来事とか、地震のことを伝えるようなことをすると。
やっぱり、入ってきた市民の方々も考えてくださいますし、より自分たちよりというか、身近に感じてもらえるんじゃないかなということで始めた構想でもありまして。

住田:市民が教えられるだけではなく、市民が参加して、減災にみんなで向かおうという構想ですか。それで、サポーターさんを増やそうという・・・

米田:はい、そういう取り組みを始めようということになって、そういう取り組みも手伝って下さるボランティアさんを募集したんですよ。いまでは、3年目、4年目くらいに入るんですけれども、20名くらいの方が今でも来て活動してくださってまして。

住田;具体的には、どういうことをされるんですか?

米田:一般見学会ということで、月に今は4回程度なんですけども、一般の方々に見てもらえるような日を設けまして、その時に地震計の案内っていうんですかね、「こういう風な歴史をたどってきたんですよ」とか、あとはこの観測所のこととかを話してもらうツアーのボランティアだったり、あとはそれを運営するための、お客さんが来たときの受付だったり、周辺の木が倒れてるときにはそれをわざわさ刈ってくださるようなボランティアさんもいて、さまざまです。

住田:そういうサポーターさんも、ここでは集まって支えてくださるということなんですね。そういえば、地下の大きな地震計の場所でも、簡単な原理がわかる模型もありましたよね。

米田:そうですね。あれも、こういうものがあったほうがいいと、サポーターさんが自ら提案されて、作って来ていただいて、置かせくださいと言われたので、こちらとしてはありがたい限りです。

住田:この地震に関する、言ってみれば“ミュージアム”を市民と一緒に作っていこうと。

米田:そうですね。はい。

住田:東日本大震災が2011年に起きて、その後ますます、こういう取り組みが注目されましたけれども、米田さんも東北の被災地に行かれたそうですね。

米田:そうですね、たまたまというか、昨年なんですけども、東北大学さんの方に支援というか、業務で行くことがありまして、ちょっと時間があったので、被災地に行かせてくださいということで、連れってってもらえたんですよ。

住田:そこでは、どんなことが見えてきましたか?

米田:やっぱり防災研究所に所属している人間として、アウトリーチってすごく大事だとか、やっぱり考えていかないといけないって皆さん思って下さっているんですけども、研究されてる方の中には、それは誰かがきっとやってくれるからとか、自分たちは研究するのが仕事だから、アウトリーチは他の人にやってほしいっていうふうなお話もあったりして。
確かに、研究を進めていただかないと、防災も変わっていかないと思うんですけども、やっぱりそういう研究をしているからこそ、人に伝えられるものがあると思うので、なんか、やっぱり、人に伝えるっていうところも、もうちょっと重要視というか、大切にしていきたいなっていうのを感じましたね。

住田:技術職員でいらっしゃる、そして音楽も愛してらっしゃると。音楽っていうのもあれですよね、自分一人じゃなくて、やっぱり誰かと響きあうから音楽ですもんね。そういう意味では、そういういろいろなミュージアムをどういう風にみんなに見てもらおうかとか、伝わってるだろうかとか、これは通じるものあるかもしれないですね。

米田:かもしれないですね、はい。



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