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京都大学防災研究所 Presents

第20回 横松 宗太さん(京都大学 防災研究所 准教授)

「しあわせの“防災経済学”」(1ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

しあわせの防災経済学って?

住田:横松さんの研究室にお邪魔しております。ご専門は、防災経済学ということで、この「ぼうさい夢トーク」のシリーズでは、初めての経済学からのアプローチということで、私も文化系の人間ですので、ちょっと、ほっとしていたんですが。

横松:実は私、大学は理系の土木工学に入りまして、そこで土木施設の効果を計算するというところから研究を始めて、だんだんと経済学に興味をもっていったという経歴なんです。

住田:ということは、もともと理科系、数字を使うという分野でらっしゃるということですか?では、基本的なことから教えていただきたいんですが、その「防災経済学」とは、どういうものなのか、具体的な例を挙げながら教えていただけますか。

横松:私が考える他の経済学との違いは、第1には、私たちの分野で「リスクの集合性」というのですが、危険なことが多くの人に同時に起こるということです。つまり、地域の人みんなが同時に被災する、それによって助け合うことが難しくなってくる。そういう状況を何とかしたいということが、1つ目です。

2つ目は、社会が長い歴史をかけて築き上げてきたインフラや、地域の資産や文化が壊れてしまう。それを失ってしまうことの影響を分析することです。

そして3つ目は、災害後の格差の問題です。経済における分配の問題と言ってもいいかもしれません。1つの具体例を紹介しますと、私は今、インドネシアのメラピ火山の地域に関心を持っていまして、そこでは5年に1回くらいの頻度で火山の噴火があります。噴火が起これば、土石流や火山灰や溶岩が地域に大きな被害を与えるのですが、その一方で、噴火によって土砂が山の中から出てきて、その土砂がコンクリートを作る上での良質な資源になっているという側面があるんです。

ですので、噴火があると土砂採掘産業が盛んになります。そうすると、私なんかは単純に、その土砂採掘で得られた利潤が被災地域の復興の原資になればいいなと思うのですが、現実はそうではなくて、土砂採掘のために被災地に入ってくる膨大な数のトラックは被災地域の外の企業のものであり、トラックの所有者(企業)が地元の被災者たちを安い賃金で雇って、土砂をスコップでトラックに載せさせて、外の地域に持って行って売り、高いマージン、利潤を得るということになってしまっているんです。
だから、なかなか土砂が生み出す利益が地元の復興に帰着していない。

住田:役立ってないですね。

横松:しかも短期間に大量のトラックがその地域に入ってきますので、それによって道路が傷んだり、(土砂で埋まった河道の回復としては望ましい)土砂採掘の機会に乗じて、元の状態よりも砂を掘りすぎることにより、橋の橋脚が露わになって、別の危険が生まれたりというような、二次的なリスクも大きくなっています。

住田:ということは、防災にさらに逆行するような現象が起きてくるということですね。では、防災経済学の観点からは、どういうふうに変えていけば、うまくいい方向にいくのでしょうか?

横松:例えば、地元の政府が、国の認可の下に、土砂採掘現場に入る途中にゲートを設けて、そこでトラックから料金を徴収しています。税金のようなものですね。今、そのお金がどういうふうにまわっているのか調べています。
その例のように、いろいろな形の仕組みがあるものと思います。被災地が少しでも早く十分に復興していけるような仕組みを、総合的に考えていきたいと思っています。

住田:経済といいますと、損か得か、あるいは少しでも利益を上げるにはどうしたらいいのか、あるいは経済効率っていうんですかね、そういったことを考え、追求するのが経済かというふうに思っていらっしゃる方も多いかと思いますけれども、「防災経済学」っていうのは、その被災した人達に、何らかの安全や幸せというか、そういったものを少しでももたらすための循環にできないかということですか?

横松:そうです。災害は社会の弱者に対してより深刻な被害を与えるということがよく言われているのですが、私は経済の面からそのような格差が広がらないような仕組みを考えたいと思っています。

住田:横松さんの「防災経済学」、どうやら幸せを追及するっていうことを加味しなきゃいけない、そういうことを加えていく学問ということなんでしょうか。

横松:はい。

ミャンマーの原体験

住田:ここからは、そんな横松さんが、なぜこの道に進まれたのか、その生い立ちをたどりながら、伺っていきたいと思います。
京都大学防災研究所准教授で、防災経済学がご専門の横松宗太さん。1973年、昭和48年のお生まれだそうですね。

横松:はい、そうです。

住田:現在、41歳でいらっしゃいます。出身が埼玉県だそうですけれども、ちょうど小学校5年生から6年生になるとき、家族で海外、ミャンマーに引っ越されたと。

横松:はい、父の仕事の関係で、ミャンマーは当時ビルマと呼ばれていたのですが、ビルマの首都のラングーン、現在のヤンゴンに移住しました。

住田:お父様はどんなお仕事を?

横松:政府の開発援助でビルマの国立競技場を作るというプロジェクトに参画していました。…私の一家は建築家一家でして、父も母も弟も建築家という環境なんです。

住田:へぇ、そうですか。そのビルマ、今のミャンマー、そこに滞在された時の体験に、実はその防災経済学のルーツがあると、根っこがあると伺っているのですが。

横松:ビルマは途上国の中でも一番貧しいクラスの国なのですが、そういう国に先進国の人が仕事で行くと、むしろ裕福な暮らしができるんです。家が大きくて、家にお手伝いさんがいたり、運転手さんがいたりという暮らしがある。

あるとき、私が、確かサッカーによって、もう泥だらけになってシミも落ちなくなって、首の回りものびてしまったTシャツをゴミ箱に捨てていました。そうしたら、翌日に、お手伝いさんの、私と同じ年くらいの息子がそれを着て走っていたのを見て、ショックを受けました。

さらに、その子がいつも私に対してニコニコしていて、とても友好的なんです。子ども同士であれば、「なんだ、この金持ちのぼんぼんが」とか思うはずで、贅沢な子どもを軽蔑するような気持ちがあって当然だと思うんです。あるいは「今に見てろ」というふうに、臥薪嘗胆の気持ちをもつとかですね、そういうことが当然だと思うのですが、そんなことは無く、むしろ「この家族は母を雇って、自分たちに生活環境を与えてくれているのだ」というように、子どもにして既に達観して、悟っていたのかもしれない。

そのことがまたショックでした。たまたま私は日本人として生まれて、その子はビルマ人として生まれただけのはずです。子ども心に不条理を思ったことが、ひとつの基となっている体験です。



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