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京都大学防災研究所 Presents

第20回 横松 宗太さん(京都大学防災研究所 准教授)

「しあわせの“防災経済学”」(2ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

学生時代

住田:ちょうど小学校高学年から中学にかけて、ずいぶん早く社会に対する見方をお持ちになったんですね。日本に帰国されて、神奈川県の鎌倉で過ごされるんですけれども、日本の暮らしにはすぐ馴染むことができましたか?

横松:帰国直後は、当時は同級生たちが少し子どもっぽく見えてしまったところがありました。ですので、少し内向的な時期になりました。
後になって振り返ると、私がたまたま「早く大人になりたい」と背伸びをしようとするきっかけ、つまり私の場合はビルマでの経験ですが、そのようなきっかけに少し早く恵まれ、多くの同級生たちはまだこれからだっただけで、当時の同級生たちも、与えられた環境の中で日々の楽しさを見つけていこうとしていたことがわかります。…そういう中で、一人、二人、三人…と、お互いに思いを伝え合えるような友達を増やしていったことは、大事な経験だったと思います。

住田:高校時代になって、今度はラグビーを始められたと伺っておりますけれども、その頃、だんだん、将来はこういう方向に進もうっていうものは見えてきたんですか。

横松:先ほども申しましたように、私の家は建築一家だったのですが、私にはまず絵心が無くて、デザインは無理だろうと。そういう美的なセンスはないだろうと確信がありました。傍から見たら建築も土木も似たようなもの、「ほとんど同じじゃないか」と映るようにも思うのですが、子どもながらに一歩飛び出してみたくて、将来は「土木計画」とか「都市計画」といった分野に進みたいと思うようになりました。

住田:そして、京都大学工学部の土木工学科に入られたということです。1年生の時に、同好会に入られるんですが、それが「持久走同好会」と。なんでまたこの「持久走」に入られたんですか?

横松:この「持久走同好会」、もちろんマラソンはするのですが、そこに本質はなくて、総合人間学部の建物の地下に勝手に(?)占拠したような部室があって、その暗さが気に入ったんです。

住田:暗さが気に入った?

横松:ええ、そもそも当時、マラソンは今のように明るくおしゃれなスポーツではなくて、内向的な人が選ぶような競技だったと思うのですが(笑)、そういう仲間たちと朝まで安酒を飲みながら、いろいろな話をして、非生産的な時間を過ごすことが心地よかったんです(笑)。

阪神淡路大震災をきっかけに、防災へ

住田:しかし、大学3年生の冬になって、阪神・淡路大震災が起きまして、被災地にも足を運ばれたんだそうですね?

横松:一人で神戸に行ってみて、被害の現場を自分の目で見たいと思ったこと、それから建築家である父が仕事として調査に来た時に写真を撮る手伝いをする形で神戸を訪問しました。
ただ当時はまだ、のちに防災の研究をするとは想像もしていませんでした。ですので、現場を見て、土木の人間としての問題意識を持っておかないといけない,というくらいの漠然とした意識だったと思います。

住田:翌年、学部の4年生になられて、土木工学部門の小林潔司先生の研究室に入られると。そこで、学部の卒論、そして、修士課程のテーマが「インフラ整備の費用便益分析」。ちょっと難しい言葉ですが、これはどういうものなんですか?

横松:土木の分野が対象にしている社会基盤施設、インフラストラクチャーがどれだけの効果を持っているのかということを、お金の単位で計算するんです。そして、その結果をもって、この施設を整備すべきか、あるいは費用の方がかかりすぎるから整備しない方がいいかという判断の助けとなるような基準をつくることが費用便益分析の目的です。

住田:はい。

横松:そして、卒業研究のテーマですが、例えば橋とか道路とか図書館とか、そのような公共施設を、どの自治体も同じように1セット持ちたがります。それに対して、例えば図書館に関しては、2つ3つの近所の自治体で一緒に持つというようなことをしていけば、より効率的になるんじゃないかというような、そんなことを分析する数式の枠組みを作りました。

住田:その後、修士課程から博士課程後期に進まれるときに、いよいよ“防災”というのが研究テーマに組み込まれてくるわけですね。

横松:そうですね、阪神・淡路大震災から少し経って、小林先生がうちの研究室でも防災に取り組もうかと仰って、その中で「お前がやるか」というふうに聞かれたので、「はい、やります」と答える形で始まりました。

住田:すぐに、「はい、やります」って答えられたのは、なぜだったんですか。

横松:阪神・淡路大震災の後に被災現場を見に行ったときに、とにかくその状況に圧倒されるばかりで、何が起こったのかということが自分の中でわからなかったんです。
その、何が起こったのかということを、研究を通じて少しでも分かるようになりたい、そして、こういうことが二度と起こらないような具体的な方法を考えて、防災を通じて社会に何らかの貢献をしたいという気持ちだったのだと思います。

住田:それで、やりますと。



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