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京都大学防災研究所 Presents

第1回 山田真澄さん(京都大学 防災研究所 助教)

「役に立つ地震学」(2ページ目/5ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

東日本大震災で感じたこと

住田) ところで、去年の3.11、東日本大震災の時は、どこでどう情報をキャッチされました?

山田)わたしは、実はニュージーランドにおりまして、2月にクライストチャーチで大きな地震があったんですけれども、その後にニュージーランドの余震観測っていうのに参加しておりまして、ニュージーランドに地震計を置いていたんですね。その時に、ホテルの人から、「日本で大きな津波が起こっているみたいだけれども大丈夫か?」って言われて、それで初めて地震の発生を知りました。

住田)その第一報を聞いて、そしておそらく国際映像を観て、テレビで観て、その時何を感じられました?

山田)なんか、自分が研究していたことは、少しまあ、現実性が無かったというか、もちろん実際の地震を研究しているっていうことはわかっているんですけれども、どこかでまだ少し現実とは感じていないところがあったと思うんです。それを映像を見ることによって、実際はこういう、自分が研究していることは、こういうことなんだっていうことを、すごく強く感じました。

 その2日後くらいに、日本に帰ってきまして、いろんな情報とかがもっと詳しく入るようになったんですけれども、その時たぶん日本全国そうだったと思うんですけど、みんなたぶんすごくがっかりしてたと思うんですよ。よく、地震学者がすごく反省したとか失望したとかっていうふうに言われるんですけれども、たぶん日本全国の人が、ああ、自分はこんなことを続けていていいんだろうか、とか、そういう気持ちになったと思うんですね。

 で、自分もちょっとそういう気持ちになったし、今まで自分がしてきたことってなんだったのかなあという気持ちになりましたし、しばらくはすごいあの、さみしい気持ちだったんですけれども。まあ、そういう時間がある程度続いて、こんなことばっかりしていてもいけないなと思って、被災地に行って調査をしたりとか、どうしてこういう被害が発生したのかっていうことを、ちゃんと説明することがわたしたちのできることだなあと感じまして、そういった研究を行っていました。


地震学を研究することになったきっかけ

住田)山田さんが、地震学に進んだきっかけを伺いたいんですが、もともと学部の時は建築だったんですって?

山田)はい、大学の時には、建築学科に所属していまして、建築士になりたいと思っていて、建築の授業をいろいろ勉強していたんです。けれども、建築って授業のなかでも、設計をして建物をつくってみたりとか、そういった練習もいろいろするんですが、まあ結構、才能がいるんですよ。

住田)ほお。

山田)それでやっているうちに、わたしは才能がなくてダメだなあと思いまして、4年生の研究室配属のときに、歴史の勉強って、おもしろそうだなあと思いまして、それで、建築の歴史の研究室に入りました。そこで、歴史の古文書をですね、読んでいたんですけれども、そういうのを読んでいるうちに、研究がすごく面白いなあとその時はじめて思いまして、将来は研究者になりたいっていう気持ちをすごく強く感じるようになりました。

 でも、研究者になるんだったら、ちょっと社会に直接的に役に立つ研究がしたいというのをずっと感じてまして、それでその次の年の修士に入学するときには、地震に強い建物をつくる「耐震」の研究室に入りまして、それで建物をつくって壊すっていう実験をずっとしてたんです。

住田)へえ、建築で建てる勉強から入ったのに、壊す実験をするというように変わった。

山田)はい。それで、どれぐらいの建物に、どれぐらいの揺れを入力すると建物が壊れるのかっていうことを調べていきまして、地震の揺れの強さと建物の強さの関係っていうのを調べていくんですね。
 まあ、そういった実験をしていて、建物を強くするっていうのは、地震の被害を減らすっていうのにも役に立つし、人の命を救えるし、すごくやりがいがあったんですけれども、研究者になるんだったら英語もしゃべれないといけないなと思いまして、それで修士課程のあとに博士課程に進んだんですけれども、その時はアメリカにある大学院に入学しました。



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