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京都大学防災研究所 Presents

第12回 米山 望さん(京都大学防災研究所准教授)

「三次元解析でリスクを見つめなおす」(4ページ目/5ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

原子力安全委員会での仕事

住田:土木工学に進まれて、河川工学を専攻され、さらに水の流れっていうのは、立体なんだ、三次元なんだっていう風に、突き詰めてこられたわけですけれども、京大に戻られたのが平成17年、2005年。その後も実は最初に関わられた原子力のことで、原子力安全委員会の仕事をされていたそうですね?

米山:専門委員と言う立場だったんですけれども、原子力安全委員会の委員会でいろいろ発言をさせていただきました。

住田:原子力安全委員会全体のみなさんは、米山さんの津波の危険性の話について、どういう風に耳を傾けていらしたんでしょう?

米山:やはり、津波のことをしゃべる人が少なかったので、少数派ですよね。その時の扱いとしては、地震沈随伴事象、地震にともなってこういうことも起きるよということで、津波もその一つとして考えましょうというような位置づけで。メインは地震だけどもそれに伴って津波もあるよねと、それについても考えましょうっていうくらいの話でした。

住田:言ってみれば、サイドの話ってことですか。ところが、2011年の3月11日に、東日本大震災が起きてしまいました。その時に起きた一連の現象と福島第一原子力発電所の事故ですね、これはどういう風にご覧になってました?

米山:実はその日に原子力安全委員会が東京であったんです。

住田:その当日?

米山:はい、当日。それは午前中の会議だったんです。中越地震以来、もう一回、原子力発電所の安全性を見直そうということで、ずっとやってきたんですけれども、やはり先ほど言いましたように、まず地震から先にやりまして、地震がだいたいめどがついて、これから津波ですねって言って、会議が終わったんです。
それで、京都に向かってるときに米原で急に止まりまして。

住田:新幹線が止まっちゃった?

米山:なんのことか全然わからなかったんですが、情報が何もなかったので、京都についたら京都駅で、キャンセル、払い戻しの人たちが、すごい列をなしてたんです。そこからもう、みなさんと同じなんですけれど。

住田:つまり、津波は、じゃあまた次回以降って言ったその日の午後に、あの大津波が来たわけですね。しかもその津波が、原発に押し寄せた、その中に水が入り込む、するとその機能がダメになる。
まさに、三次元で水がやってくるっていう部分でしたね。もう少し早く、スポットが当たっていればっていう部分もありますね。

米山:そうですね、いろんな問題が、複合的になって、そうなってると思います。今回、東日本大震災の反省が何かという風なことを考えますと、自然現象はちゃんと予測できないよということだと思うんです。

住田:予測しきれない。

米山:そうなんです。

住田:そういう部分があるんですね。

米山:だから、そのことを忘れないようにしなきゃいけないなと思います。
国の方で、中央防災会議から予想を出しましたよね。あれは、一回出てしまった後は、どうしても正になってしまうんですよ。あれが、今度起きる最大級の津波ですと。でもそれを正にしてしまった時点で、また同じことが繰り返されるんじゃないかっていうのが、すごく心配です。

住田:つまり、何か予測が出たり、数値が出たりすると、それをもとにみんな考えますよね。

米山:何かの目安がないとできないのは、それはよくわかるんですけど。もちろん、何もどうなるかわかんないっていう話では対策も立てられませんから。
ただ、それしか来ないとか、それよりもっと強いのは来ないからここまで逃げとけば大丈夫だとか、そういうことで結局東日本でも、被害がありましたよね。ここまで逃げとけば大丈夫だと。あんな防波堤を作ったんだからという話です。
国の方からここの津波は最大でこれくらいですと情報を出すのはもちろん大事なことなんですけれども、それよりも1cmも大きいものは来ないっていうのはありえませんので、そこをちゃんと忘れないようにして、それよりも2mくらい高いのが来るかもしれないし、先ほどお見せしたように、場所によって狭まってるとこではもっと高くあがったりする可能性もあるんです。

住田:局地的に違うポイントがありましたね。

米山:ここには10mの津波がきますからってみたいな話になって、それを何度も聴いてると、ここは10mだからみたいな話になりますね。

住田:最初に起きる現象が、どこでどれだけか、これがわからないんだっていうことは肝に命じとかないといけないですね。米山さんは、東日本大震災の直後に、実際に被災地の調査もされたんですね。

米山:仙台平野の方と、あとは七が浜ですね、それから松島です。そのあたりに行ってきました。それは、震災後の3月27日、28日くらいで、車で京都からずーっと行きました。その時見たことは、たとえば七が浜では、まだ、自衛隊の方が人を捜索されてましてですね、そんな現場に自分が今まで行くなんてことは、とっても想像できなかったんですけど、すごいショックを受けました。
私自身、津波の計算なんかをいろいろやってたんですけ、実際にこんなことになるんだっていうのは、初めてだったもんですから。
この時点でこういう津波が来たとか、それからこれくらいの建物が壊されたとか、そういうことを余すところなく拾って、今後の研究に役立てて行きたいなと強く思いました。



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