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京都大学防災研究所 Presents

第21回 宮本 匠さん(兵庫県立大学 専任講師)

「人々が輝く、ときめきの災害復興論」(2ページ目/4ページ)
【聞き手 住田功一アナウンサー (NHK大阪放送局)】

宝を”一緒に”発見して活用する、というプロセス

住田:宮本さんが、そういうことに気づいたのは、どういうやりとりやプロセスがあったから気づいたんですか?

宮本:あのですね、最初はぼくもそんな風には思えなくて、まあ外の人間もなにかできると思ってですね、当時木沢は、地下水が地震で変わってしまって、水が無いってことが問題やったんですよ。

住田:水がでなくなっちゃった?

宮本:出なくなった、水がない水がないって言われて。それで、ぼくもなんとか水を復旧しないといけないと思ってたんです。それで、当時区長だった星野幸一さんって方がいて、その幸一さんちに行ってですね、僕が難しい顔で「水ないんですよね」・・・って困った顔で言っていると、「おぅ」って消えていくんですよ。
幸一さんを怒らせたかなぁっと思って。すると、幸一さんが出てきた時にですね、なんか写真を持ってるんですよ。「これ何ですか?」、「これは、ウラシマソウっていって、浦島太郎が釣りをしているように見える草なんだ」と。「え、そんな草あるんですか」と。「すごいですね、え、こっちの花なんですか?ねじねじ、なってますやん」、「これは、ネジリバナっていう」「えー、これすごいですね」、「そんなんどこにでもあるよ」といわれてですね、「じゃ山に見に行くか」って言われてですね、山に連れられる。

そのやりとりを通しながら、どうも自分にできることは、水を出すのも大事だけれども、やっぱり木沢は実はすごいところだと、でも、どうもこの人たちが気づいていないんじゃないかと。これを一緒に発見していくっていうプロセスが、自分にできることなんじゃないかっていうことを、その幸一さんとのやりとりを通して教えてもらったって感じですね。

住田:その、ここにしかない、いいものっていう、そこに気づいてもらって、その後は、ではどう踏み出すのが大切なんですか?

宮本:そうですね、将来この地域がどんな村になったらいいかっていう、大きな目標みたいなものを、きちんと地域で共有していくってことが、たぶん大切だと思いますね。
その再発見した宝を、では実際にどういうふうに活かせるのか。木沢の場合だったら、その宝であるおいしい食べ物だったり、木沢の人柄だったりを楽しんでもらうための拠点として、廃校になっていた小学校を宿泊施設にして、外からやってきてもらう人を定期的に受け入れて、収入にもなるっていうことをやってますけども。

住田:今、ちょうどお話をうかがっている場所が、その地震の年の春に、閉校になった学校、ここが今は畳敷きになって、いろんな人が泊まれる拠点になっているわけですよね。

宮本:それもやっぱり、地震の後に村の人が、「ああ、こうやって、外の人と交流することで、元気になれる」っていうのに気づいたんですよね。
自分たちのいろんな価値を発見したり、楽しんだり、人が集まって賑やかになるっていいなっていう感覚があって、だからこれがずっと続いたらいいなっていうのが木沢の中にあったんですね。そういう議論があって、この廃校をリニューアルオープンしたんですけれども。

生い立ち

住田:宮本さんの災害復興論は、これまでの災害復興という考え方では置き去りにされてきたことに、私たちの目を向けさせてくれる、そんな宮本さんがなぜこの道に進んできたのか、生い立ちをたどりながら、ここから伺っていきたいと思います。
宮本さんは、1984年、昭和59年生まれのねずみ年です。私よりは、2まわり下ということで、ほんとにまだまだ若い研究者でいらっしゃるんですけれども、出身は東大阪市?

宮本:東大阪市ですね。小学校に行く通学路に、こう、町工場があって、土曜日はちょっと機械の油をかぎながら帰ってくるみたいな、そんな街の出身です。

住田:小学校のころから、いろいろチャレンジされていたと。えー、ラグビー?お笑いですか?

宮本:ラグビーは小学校の時に、地元のスクールに行ってやってたんですけれども。

住田:花園ラグビー場があるんで、盛んな街ですよね。

宮本:そうなんですよね。でも、これが、わゆるあかんたれで、だからタックルが怖いんですよね。だから全然タックルに行かなくて、すっごい怒られたっていうのを覚えてますね。

住田:ラグビーはちょっと向いてなかった。

宮本:はい、あかんたれでした。

住田:はぁ。お笑い・・・

宮本:お笑いはですね、当時ダウンタウンが全盛期で、僕も小学校の文集に「銀河一の漫才師になる」って書いて、おばあちゃんが心配したこともありましたけど。

住田:世界ならぬ、銀河一?

宮本;銀河一の漫才師って書いてですね。

住田:じゃあ、クラスの人気者だった?

宮本:あの、「終わりの時間に漫才の時間くれ」って先生にお願いしてですね、それで漫才をやるとみんなから「早く帰らせろ」ってブーイングが・・・「ええー」って言われるみたいな・・・

住田:それもいまいち、じゃあ、うけなかったんですね?

宮本:うけなかったですね(笑)

住田:それで、読書も?好きだったってことですね?

宮本:本は、ほんとに小っちゃいときから、読んでて。まあ、ぼく寝つきが悪いんですよね。だから寝る前に本を読まないと寝れないっていうのが、すごくちっちゃいときからあって、本はたくさん読みましたね。

住田:どんな本が好きだったんですか?

宮本:とにかく、みんなが知ってる本っていうのを、全部読みたいっていうのがあって、有名な作家を片っ端から全部読んでいくと。夏目漱石だったり芥川龍之介だったりっていうのを読むこともあれば、吉川英治のシリーズものの歴史系を全部読んでやろうとかですね、たくさん読みましたね。

住田:その後、高校時代もいろいろ模索が続くんですね。高校時代は、進路相談の時には、先生に小説家になりたいと言った?

宮本:そうなんですね、ぼくは文章を書くことがすごく好きだったんで、なんとかこう小説家に。

住田:先生もびっくりされたということですね。

宮本:先生もね。「僕が、高校の先生をやってて小説家になりたいってのは君が初めてだ」と(笑)



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